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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪高地性集落と前期古墳≫
出典:保育社:カラーブックス:
古墳―石と土の造形―森浩一著
115・116・117頁
静岡市登呂・奈良県唐古・尼崎市田能など
弥生式文化の代表的な農耕集落の遺跡は、
原則として低地にある。
これは稲を栽培する文化の集落としては
当然のことで、
その後の日本の農村立地の基本型でもある。
大阪や奈良の現代の農村をながめると、
平地のすぐ背後に低い山や丘陵があっても、
集落の場所としては平地が選ばれている風景は
いくらも眼にすることができる。
この集落の在り方は、水田や他の集落への交通の便、
水の問題などがもたらした
自然の形といってよかろう。
弥生集落や各時代の農村は基本的には低地にあるが、
最近になって新しい事実がわかってきた。
それは峻しい山の頂上の平坦地や、
山地形のない地域では、丘陵の上にも、
弥生中・後期には集落が営まれていることで、
高地性集落と呼称されている。
もちろん、地域の条件で、
山地形と丘陵地形との相違はあるが、
発生の事情は同じであろう。
高地性集落は、大分県から瀬戸内沿岸地方、
さらに兵庫、大阪、和歌山、奈良、京都などに
分布しており、
発生期の古墳の分布地にほぼ重なっている。
さらに弥生中・後期に集中していて、
古墳時代とくに中期以降には、
その存在は知られていない。
香川県紫雲出(しうで)、
兵庫県会下山(えげやま)、
大阪府鷹塚山、観音寺山、
京都府天神山、
奈良県東大寺山などは、
調査はされた高地性集落である。
このような農村立地の原則からはずれた
高地性集落は、
分布地域と、存続の期間が限定されているので、
特殊な歴史的状況で発生した異形な集落であると
結論づけられる。
高地性集落を畑作集落として説明する
研究者もいるが、
私(森浩一)は賛成できない。
《高地性集落の性格-日本とヨーロッパ-》
昭和43年、大阪府の観音寺山の集落を調査した。
約百戸の竪穴式住居が丘陵上に密集し、
その周囲に鋭い空濠を二重に掘鑿している。
つまり丘陵の斜面をほぼ登り切ったところに
一重目の濠、
さらにその上に接して
二重目の濠がとり囲んでいて集落を防御している。
集落は東西の長さが560メートルもあるから、
濠の総延長は2キロ以上に達している。
このような大集落は畑作で支えられるものではなく、
明らかに防御集落であり、
私(森浩一)は、非常事態が発生した時に、
平地にある集落の住民を収容するための
逃げ城的性格とみている。
ヨーロッパでは、
農耕文化が発達して第2期になると、
各地におぼただしい高地性集落が営まれ、
その遺跡が古くから研究されている。
興味深いのは、
ゲルマン諸族のように他に侵略することの
多い集団の居住地では高地性集落は少なく、
侵略される側が主に築いている。
ギリシアのアテネの町の背後には
有名なアクロポリスの神殿があるが、
その地下でも高地性集落の跡が発掘され、
かってはアテネの町の背後にあった逃げ城が、
のち聖地化したのであろうといわれている。
日本でも、ヨーロッパにおいても、
農耕文化が発達した段階になると、
土地が、戦争という手段で奪ったり、
また逆に守る対象となるわけであるが、
日本での農耕文化の第2期は、
弥生後期以降になると私(森浩一)は考えている。
簡単にいえば、
道具としての石器が
ほとんど消滅していて鉄器にかわったばかりか、
農耕魏樹そのものの進歩がめざましい。
さらに登呂にある板でかためた
水田遺構に現実に見られるように、
水田への労力の集中と、
配水だけでなく、排水も可能な灌漑施設など
土地への働きかけは想像以上のものがある。
ヨーロッパでの例を参考にすると、
弥生中・後期における動乱は
必然的に発生したものであり、
そのような動乱を通じて、
各地で国家連合への急速な
動きがあったと考えられる。
中国の歴史書である『魏志』や『後漢書』では、
2世紀後半(後漢書では桓帝、霊帝のころ)に
倭国に大乱があったことを記録している。
この大乱の中から、卑弥呼が王になるのだが、
動乱は完全におさまったのではなく、
247年には狗奴国と戦争状態になり、
その直後に女王は死んでいる。
その後の事情を倭人伝では、
「男王を立てしも国中服せず、
更々(こもごも)相誅殺し、
当時千余人を殺す」
と記しており、
動乱の状態が
3世紀中葉にもとづいたことを記している。
高地性集落を生みだした歴史的背景が、
長期にわたる動乱であっても、
それを中国史書の伝える
倭国大乱に限定する必要はない。
おそらく2・3世紀におよぶ
長期のものであっただろう。
《前期古墳と高地性集落の関連》
高地性集落が営まれている時期は、前期以前である。
桜井茶臼山の後円部に埋置されていた有孔の壺は、
弥生式後期より後の土師器であり、
その形態も瀬戸内地方に源流を求めることができる。
そればかりか、高地性集落が廃絶した上に、
故意か偶然にかは分からないが、
前期古墳が築かれて例が、
大阪府玉手山などに見られ、
明らかに時間的経過を示している。
私(森浩一)には
高地性集落がもはや存在しなくなった状態、
いい換えれば、
それまでは各集落ごとで防御していたのが、
各地域での国家連合の成立によって
その必要がなくなった時点で、
前期の大古墳が出現したと考えている。
発展期の古墳を築かせた政治勢力が
西方から移動してきたものであると仮定することは、
毫も弥生式時代における近畿の生産水準を
軽視していることにならない。
伊達宗泰氏は、弥生集落と関係させながら
奈良盆地の水系ごとに耕地面積を計算しているが、
それによると奈良盆地での耕地面積は
他のどの地域より広かったという。
奈良盆地での
弥生式時代の農業生産力が抜群であったことは、
その地で自生的な政治勢力を
生み出す場合の条件にもなるが、
他からの侵略をひきおこす原因にもなる。
いずれにしても、
観音寺山集落や奈良東大寺山集落の
空濠の掘鑿に投入された労働力と、
土木技術、およびそれを実現させた組織力は、
すでに大墳丘を築くための前提となる
諸条件をととのえていたのである。
「高地性集落」
「登呂遺跡」
「唐古・鍵遺跡」
「紫雲出山」
「会下山」
「東大寺山古墳」
「大和天神山古墳」
「古墳」
「前方後円墳」
「陪塚」
「横穴式石室」
「竪穴式石室」
「銅鏡」
「鉄剣」
「銅鐸」
≪歴史関連リンク≫
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ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2015年12月22日火曜日
2015年12月21日月曜日
天王塚古墳
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《参考:年表・資料》
≪天王塚古墳≫
出典:保育社:カラーブックス:
古墳―石と土の造形―森浩一著71~75頁
天王塚は井辺八幡山とともに岩橋千塚の双璧である。
規模はどちらも全長約90メートル、
後期古墳では吉備や出雲でも最大級の大きさである。
明治時代に後円部の横穴式石室が
英人マンローによって紹介されたが、
その後埋まっていたものを
昭和39年春に再調査した。
明治時代には
天井石のすき間から入っていたので改めて
入口から発掘を進めた。
後円部を掘下げると、
羨道の入口にある羨門に達した。
ここでは巨大な一枚石扉にして、
死者の世界とこの世とを分けていたが、
かつて侵入した盗人によって、
扉石は下の一部をにこして破砕されていた。
羨門を入ると羨道である。
外に眼をやると明るいが、
石室の奥のほうはすいこれるような闇の空間である。
左右の壁は割石積であるが、
大きな天井石が頭上にのしかかる。
「写真」天王塚:和歌山市岩橋千塚
「岩橋千塚古墳群」
「井辺八幡山古墳」
《天王塚の装飾付須恵器》
5世紀から6世紀の前半にかけて、
須恵器に人や鳥などの小彫刻が飾られている。
埴輪のように大きくはなく、
また独立した作品でもなく、
たいてい掌に入る位の大きさで、
器台や壺、さては耳皿などにつけられている。
その源流は大陸にあるけれども、
和歌山県や兵庫県などで異常に発達した。
天王塚は井辺八幡山よりは
約半世紀のちに築かれたが、
ここでは水鳥、鹿、犬、裸の男などが出土している。
もとは器台の縁を飾っていた。
八幡山は埋葬施設は未調査であるが、
西側の造出しにおびただしい埴輪類とともに
装飾付須恵器が使用されており、
葬送の特殊な用途であったことが知られる。
ここでも、男、鹿、犬、猪、水鳥が大部分であるが、
その群が全体として何を意味しようとするのかは、
まだ解明されていない。
「写真」埴輪付須恵器:天王塚
「写真」装飾付須恵耳皿:和歌山市井辺八幡山
「写真」装飾付須恵器台:和歌山市井辺八幡山
《天王塚の石室》
羨道を奥へ進む。
やがて天井が低くなり、左右の幅も急に狭くなる。
羨道が終わる。
ここにも巨大な扉石が閉塞していたのだが、
今は羨道のほうへ倒れている。
羨道と玄室との間に短いが別の空間が設けてある。
私は玄室前道と名づけたが、
この設備のある横穴式石室は大和にはない。
玄室前道をくぐりぬけると、
そこには暗黒の世界がある。
天井までの高さが約6メートル。
日本の横穴式石室では、
熊本県の大野窟とともに傑出の高さである。
死者のために、
なにゆえこれほど高い空間が必要だったのか。
黄泉の世界とは底知れぬ深さがあったのか。
玄室の壁を支えるため、
八本の石梁が右から左へと架せられている。
これはもう一大建造物である。
奥壁には組合せ式の石棺が散乱しており、
その上方の奥壁に石棚がつけられている。
「写真」天王塚の石梁のある玄室を見上げる。
「古墳」
「前方後円墳」
「陪塚」
「横穴式石室」
「竪穴式石室」
「銅鏡」
「鉄剣」
「銅鐸」
≪歴史関連リンク≫
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《参考:年表・資料》
≪天王塚古墳≫
出典:保育社:カラーブックス:
古墳―石と土の造形―森浩一著71~75頁
天王塚は井辺八幡山とともに岩橋千塚の双璧である。
規模はどちらも全長約90メートル、
後期古墳では吉備や出雲でも最大級の大きさである。
明治時代に後円部の横穴式石室が
英人マンローによって紹介されたが、
その後埋まっていたものを
昭和39年春に再調査した。
明治時代には
天井石のすき間から入っていたので改めて
入口から発掘を進めた。
後円部を掘下げると、
羨道の入口にある羨門に達した。
ここでは巨大な一枚石扉にして、
死者の世界とこの世とを分けていたが、
かつて侵入した盗人によって、
扉石は下の一部をにこして破砕されていた。
羨門を入ると羨道である。
外に眼をやると明るいが、
石室の奥のほうはすいこれるような闇の空間である。
左右の壁は割石積であるが、
大きな天井石が頭上にのしかかる。
「写真」天王塚:和歌山市岩橋千塚
「岩橋千塚古墳群」
「井辺八幡山古墳」
《天王塚の装飾付須恵器》
5世紀から6世紀の前半にかけて、
須恵器に人や鳥などの小彫刻が飾られている。
埴輪のように大きくはなく、
また独立した作品でもなく、
たいてい掌に入る位の大きさで、
器台や壺、さては耳皿などにつけられている。
その源流は大陸にあるけれども、
和歌山県や兵庫県などで異常に発達した。
天王塚は井辺八幡山よりは
約半世紀のちに築かれたが、
ここでは水鳥、鹿、犬、裸の男などが出土している。
もとは器台の縁を飾っていた。
八幡山は埋葬施設は未調査であるが、
西側の造出しにおびただしい埴輪類とともに
装飾付須恵器が使用されており、
葬送の特殊な用途であったことが知られる。
ここでも、男、鹿、犬、猪、水鳥が大部分であるが、
その群が全体として何を意味しようとするのかは、
まだ解明されていない。
「写真」埴輪付須恵器:天王塚
「写真」装飾付須恵耳皿:和歌山市井辺八幡山
「写真」装飾付須恵器台:和歌山市井辺八幡山
《天王塚の石室》
羨道を奥へ進む。
やがて天井が低くなり、左右の幅も急に狭くなる。
羨道が終わる。
ここにも巨大な扉石が閉塞していたのだが、
今は羨道のほうへ倒れている。
羨道と玄室との間に短いが別の空間が設けてある。
私は玄室前道と名づけたが、
この設備のある横穴式石室は大和にはない。
玄室前道をくぐりぬけると、
そこには暗黒の世界がある。
天井までの高さが約6メートル。
日本の横穴式石室では、
熊本県の大野窟とともに傑出の高さである。
死者のために、
なにゆえこれほど高い空間が必要だったのか。
黄泉の世界とは底知れぬ深さがあったのか。
玄室の壁を支えるため、
八本の石梁が右から左へと架せられている。
これはもう一大建造物である。
奥壁には組合せ式の石棺が散乱しており、
その上方の奥壁に石棚がつけられている。
「写真」天王塚の石梁のある玄室を見上げる。
「古墳」
「前方後円墳」
「陪塚」
「横穴式石室」
「竪穴式石室」
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岩橋千塚
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≪岩橋(いわせ)千塚≫
出典:保育社:カラーブックス:
古墳―石と土の造形―森浩一著70頁
和歌山県の古墳文化は
近畿のなかでも特異性がつよい。
紀ノ川川口に近い千塚山塊には
日本最大の古墳群がある。
岩橋千塚がそれである。
国鉄阪和線の和歌山駅のプラットホームから、
東方に見えるのが千塚山塊で、
遠くからでは自然の山頂のように見える高所は、
すべて前方後円墳である。
千塚は井辺前山、花山、大日山、大谷山、前山などの
小地域に分かれているが、
そのいずれにも前方後円墳と円墳があり、
割石を積んだ横穴式石室がいたるところに
開口している。
この地には、古墳公園、紀伊風土記の丘が
建設されており、
古墳の見学は便利になった。
しかし、樹木をかきわけ古墳を見つける楽しさや、
ほとんど埋まった入口から石室へもぐり込む
スリルは味わえなくなった。
古墳の見学が終わると、
風土記の丘の陳列館や和歌山城の近くにある
市立郷土資料室を訪れるとい。
岩橋や大谷古墳の遺物が陳列している。
「岩橋千塚古墳群」
「和歌山県立紀伊風土記の丘」
「和歌山城」
「大谷古墳」
「古墳」
「前方後円墳」
「陪塚」
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≪岩橋(いわせ)千塚≫
出典:保育社:カラーブックス:
古墳―石と土の造形―森浩一著70頁
和歌山県の古墳文化は
近畿のなかでも特異性がつよい。
紀ノ川川口に近い千塚山塊には
日本最大の古墳群がある。
岩橋千塚がそれである。
国鉄阪和線の和歌山駅のプラットホームから、
東方に見えるのが千塚山塊で、
遠くからでは自然の山頂のように見える高所は、
すべて前方後円墳である。
千塚は井辺前山、花山、大日山、大谷山、前山などの
小地域に分かれているが、
そのいずれにも前方後円墳と円墳があり、
割石を積んだ横穴式石室がいたるところに
開口している。
この地には、古墳公園、紀伊風土記の丘が
建設されており、
古墳の見学は便利になった。
しかし、樹木をかきわけ古墳を見つける楽しさや、
ほとんど埋まった入口から石室へもぐり込む
スリルは味わえなくなった。
古墳の見学が終わると、
風土記の丘の陳列館や和歌山城の近くにある
市立郷土資料室を訪れるとい。
岩橋や大谷古墳の遺物が陳列している。
「岩橋千塚古墳群」
「和歌山県立紀伊風土記の丘」
「和歌山城」
「大谷古墳」
「古墳」
「前方後円墳」
「陪塚」
「横穴式石室」
「竪穴式石室」
「銅鏡」
「鉄剣」
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《参考:年表・資料》
≪富木車塚の装身具≫
出典:保育社:カラーブックス:
古墳―石と土の造形―森浩一著68・69頁
森浩一:http://ja.wikipedia.org/wiki/
小型の前方後円墳で和泉の平野の中に、
ぽつんと築かれていた6世紀の独立古墳である。
後円部に横穴式石室と木棺が2個、
前方部には木棺が四個、
計7個所の埋葬施設があり、
しかも死骸を合装した棺もあったから、
一つの古墳とはいえ十数人を埋葬していた。
この古墳には装身具がよくのこっていた。
首飾り、手玉のほか、
金や銀製の耳環にガラス玉を併用した
耳玉の実例がはじめてわかった。
耳玉は女子の埴輪には表現されているから、
金や銀製の耳環に耳玉を併用している場合は、
人骨がすっかり腐っていても女性の可能性を
考えてよさそうである。
首飾りも変化に富み、
銀製勾玉、水晶製勾玉、ガラス製切子玉、
埋木製棗玉、ガラス丸玉などがあり、
丸玉には別の色ガラスをはめた
トンボ玉もまじっている。
(大阪市立美術館蔵)
「写真」首飾り(ガラス丸玉・水晶切子玉)
「写真」耳飾り(耳玉・金環・耳玉)
「写真」首飾り(水晶勾玉と切子玉と銀製勾玉)
「写真」手玉(ガラス小玉)
「古墳」
「前方後円墳」
「陪塚」
「横穴式石室」
「竪穴式石室」
「銅鏡」
「鉄剣」
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《参考:年表・資料》
≪富木車塚の装身具≫
出典:保育社:カラーブックス:
古墳―石と土の造形―森浩一著68・69頁
森浩一:http://ja.wikipedia.org/wiki/
小型の前方後円墳で和泉の平野の中に、
ぽつんと築かれていた6世紀の独立古墳である。
後円部に横穴式石室と木棺が2個、
前方部には木棺が四個、
計7個所の埋葬施設があり、
しかも死骸を合装した棺もあったから、
一つの古墳とはいえ十数人を埋葬していた。
この古墳には装身具がよくのこっていた。
首飾り、手玉のほか、
金や銀製の耳環にガラス玉を併用した
耳玉の実例がはじめてわかった。
耳玉は女子の埴輪には表現されているから、
金や銀製の耳環に耳玉を併用している場合は、
人骨がすっかり腐っていても女性の可能性を
考えてよさそうである。
首飾りも変化に富み、
銀製勾玉、水晶製勾玉、ガラス製切子玉、
埋木製棗玉、ガラス丸玉などがあり、
丸玉には別の色ガラスをはめた
トンボ玉もまじっている。
(大阪市立美術館蔵)
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「写真」耳飾り(耳玉・金環・耳玉)
「写真」首飾り(水晶勾玉と切子玉と銀製勾玉)
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《参考:年表・資料》
≪竹原古墳≫
出典:保育社:カラーブックス:
古墳―石と土の造形―森浩一著67頁
福岡県には玉塚、五郎山、珍敷塚など
著名な壁画古墳は多いが、
見ることは容易でない。
竹原古墳は手続きをふむと、
蛍光灯の光のもとで奥壁に描かれた
古墳壁画の傑作に接することができる。
人物、怪獣、鳥、舟、波、さしばなどで、
死者への供養図であろうか。
「装飾古墳」
「竹原古墳」
「古墳」
「前方後円墳」
「陪塚」
「横穴式石室」
「竪穴式石室」
「銅鏡」
「鉄剣」
「銅鐸」
≪歴史関連リンク≫
KOFUN(誰が巨大古墳を造ったのか)『言語復原史学会:加治木義博』KKロングセラーズ
全国の古墳巡り
『天皇陵』
『古墳マップ』
『古墳』
『日本の古墳一覧』
『Category:日本の古墳』
『Category:日本の古墳画像』
Category:日本の陵墓の画像
堺市デジタル古墳百科
古墳のお部屋
装飾古墳データベース
考古用語辞典
『ひねもす至福の時』
『誕生日の花と花ことば』
『湘南ベルマーレ』
《明星院・広島県(歴史&地名)他》
『広島・明星院』
『広島・明星院』
『madiのブログ』
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
Matのジオログ
さいたま朝日WEB
『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
セブンネット
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪竹原古墳≫
出典:保育社:カラーブックス:
古墳―石と土の造形―森浩一著67頁
福岡県には玉塚、五郎山、珍敷塚など
著名な壁画古墳は多いが、
見ることは容易でない。
竹原古墳は手続きをふむと、
蛍光灯の光のもとで奥壁に描かれた
古墳壁画の傑作に接することができる。
人物、怪獣、鳥、舟、波、さしばなどで、
死者への供養図であろうか。
「装飾古墳」
「竹原古墳」
「古墳」
「前方後円墳」
「陪塚」
「横穴式石室」
「竪穴式石室」
「銅鏡」
「鉄剣」
「銅鐸」
≪歴史関連リンク≫
KOFUN(誰が巨大古墳を造ったのか)『言語復原史学会:加治木義博』KKロングセラーズ
全国の古墳巡り
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装飾古墳データベース
考古用語辞典
日ノ岡古墳と月ノ岡古墳
『浦和レッズレディース』 猶本光サポーターズサイト
『ひねもす至福の時』
『誕生日の花と花ことば』
『湘南ベルマーレ』
《明星院・広島県(歴史&地名)他》
『広島・明星院』
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《考古学&古代史の諸問題》
Matのジオログ
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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪日ノ岡古墳と月ノ岡古墳≫
出典:保育社:カラーブックス:
古墳―石と土の造形―森浩一著67頁
若宮八幡の境内には
月ノ岡と日ノ岡の二つの古墳がある。
月ノ岡には、
九州では珍しい5世紀の長持形石棺が使われていて、
拝観することができる。
日ノ岡は、
前方後円墳の後円部にある
横穴式石室には
赤・黄・青の色彩で円・三角の幾何学文や
盾、馬を描いている。
「古墳」
「前方後円墳」
「陪塚」
「横穴式石室」
「竪穴式石室」
「銅鏡」
「鉄剣」
「銅鐸」
≪歴史関連リンク≫
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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪日ノ岡古墳と月ノ岡古墳≫
出典:保育社:カラーブックス:
古墳―石と土の造形―森浩一著67頁
若宮八幡の境内には
月ノ岡と日ノ岡の二つの古墳がある。
月ノ岡には、
九州では珍しい5世紀の長持形石棺が使われていて、
拝観することができる。
日ノ岡は、
前方後円墳の後円部にある
横穴式石室には
赤・黄・青の色彩で円・三角の幾何学文や
盾、馬を描いている。
「古墳」
「前方後円墳」
「陪塚」
「横穴式石室」
「竪穴式石室」
「銅鏡」
「鉄剣」
「銅鐸」
≪歴史関連リンク≫
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壁画古墳
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《明星院・広島県(歴史&地名)他》
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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
≪壁画古墳≫
出典:保育社:カラーブックス:
古墳―石と土の造形―森浩一著66頁
彫刻や絵画で横穴式石室の壁をかざった古墳を
壁画(装飾)古墳とよんでいるが、
崖に墓室をあけた横穴にも、
同じ手法で装飾することが多い。
壁画古墳は
朝鮮半島の高句麗や百済の古墳にあるので、
その影響をうけやすい北九州に集中している。
5世紀には、
まず壁面を赤一色に塗ったり、
石棺や埴輪など葬送関係の品物によく使われていた
直弧文を彫刻したりしている。
5世紀の横穴式石室は、
壁面を小さな割石で積んでいるが、
岡山県細大の前方後円墳は、
造山古墳の近くにある千足
(小型の前方後円墳)では、
石室内に置いた石障に難解な直弧文が彫ってある。
また赤色で壁面を塗った横穴式石室は、
大阪府の芝山古墳にもあるが、
6・7世紀の絵画で壁をかざる本格的な手法は、
福岡県、大分県、熊本県と佐賀県の東部に分布し、
一つの文化圏を現出している。
「写真」壁画古墳:岡山県吉備郡高松町千足古墳
「装飾古墳」
「全国装飾古墳リスト」
「装飾古墳データベース」
「熊本県立装飾古墳館」
「高句麗古墳群」
「百済考古遺跡」
「横穴式石室」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E7%A9%B4%E5%BC%8F%E7%9F%B3%E5%AE%A4
「造山古墳 (岡山県)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A0%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3_(%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%9C%8C)
「古墳」
「前方後円墳」
「陪塚」
「横穴式石室」
「竪穴式石室」
「銅鏡」
「鉄剣」
「銅鐸」
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《参考:年表・資料》
≪壁画古墳≫
出典:保育社:カラーブックス:
古墳―石と土の造形―森浩一著66頁
彫刻や絵画で横穴式石室の壁をかざった古墳を
壁画(装飾)古墳とよんでいるが、
崖に墓室をあけた横穴にも、
同じ手法で装飾することが多い。
壁画古墳は
朝鮮半島の高句麗や百済の古墳にあるので、
その影響をうけやすい北九州に集中している。
5世紀には、
まず壁面を赤一色に塗ったり、
石棺や埴輪など葬送関係の品物によく使われていた
直弧文を彫刻したりしている。
5世紀の横穴式石室は、
壁面を小さな割石で積んでいるが、
岡山県細大の前方後円墳は、
造山古墳の近くにある千足
(小型の前方後円墳)では、
石室内に置いた石障に難解な直弧文が彫ってある。
また赤色で壁面を塗った横穴式石室は、
大阪府の芝山古墳にもあるが、
6・7世紀の絵画で壁をかざる本格的な手法は、
福岡県、大分県、熊本県と佐賀県の東部に分布し、
一つの文化圏を現出している。
「写真」壁画古墳:岡山県吉備郡高松町千足古墳
「装飾古墳」
「全国装飾古墳リスト」
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「熊本県立装飾古墳館」
「高句麗古墳群」
「百済考古遺跡」
「横穴式石室」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E7%A9%B4%E5%BC%8F%E7%9F%B3%E5%AE%A4
「造山古墳 (岡山県)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A0%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3_(%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%9C%8C)
「古墳」
「前方後円墳」
「陪塚」
「横穴式石室」
「竪穴式石室」
「銅鏡」
「鉄剣」
「銅鐸」
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