ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年4月20日金曜日
マレー語に関する章(65)山幸と邪馬壹国とは全く同じもの
《山幸と邪馬壹国とは全く同じもの》
「山幸と邪馬壹国とは全く同じもの」
「邪馬壹国 1」
その変化は狗奴国を考えると一目瞭然だ。
卑弥呼時代は「不属 女王」だったが、革命後は不属どころか、
女王国の中心勢力になったからである。
この勝者敗者の対比は、すでにご存知のとおり神話の『海幸山幸』として記録されている。
弟の山幸の名を復元してみると、「山」は「邪馬」の唐代の発音変化後の当て字だとわかる。
では「幸」とは何か?。
この神話の舞台は、日向神話という分析名でも明らかなとおり南九州である。
南九州では「幸」 は「サッ」と発音する。
このサッは古代国名の薩摩のサツだとみると、
サツはマレー語の「1」が語源だとわかっているから「壹」と書いても向じもの、
すなわち「山幸」と「邪馬壹」とは全く同じものを指す名詞で、
山幸はマレー語系の人たちが呼んだ国名であり王名だった。
そのフルネームは山幸彦だから、張攻なら邪馬壹卑狗と当て字したであろう名乗りで、
山幸彦は後世の日本式当て字、両者は全く同じものである。
この名の歴史は、まず247年に邪馬壹が生まれ、当時はジャマ イエッと発音していたが、
その後、マレー語系の住民たちによってジャマ サッと呼び方が変えられ、
その後さらに神話化した。
その時期は「邪馬」が「ヤマ」と唐音になっているので8世紀前後だったことがわかるし、
その神話化地域はサッをサチと発音する地域、近畿圏だったことも立証できる。
言語復原史学会
言語復原史学会
言語復原史学会
『参照ブログ』
古代メソポタミア
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
古代史ブログ講座
歴史徒然
ネット歴史塾
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史の画像
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
ひねもす徒然なるままに
古代史つれづれ
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿