ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年4月2日月曜日
マレー語に関する章(47)壹與とは何を意味する名詞だったか
《壹與とは何を意味する名詞だったか》
「壹與とは何を意味する名詞だったか」
これでマレー語の「マチ」が日本でも使われていたこと。
それは「死」を意味していたこと。
それが大隈では卑弥呼の「祭政一致」を指す
「マツリゴト」を意味する「マッィ」になっていて、
帯方郡使はそれを「鬼道」と表現したこと。
それが今の日本では「マツリ」と発音されて、
神道の神社の「祭り」の意味になっていること。
本当の語源はマレー語の「マチ」で、
それが鹿児島語になり、
訛って「マツリ」という「方言」になったのである。
この「マチ」には、今の日本ではもう一つ別の意味がある。
それは「町」のことである。
沖縄語の「マチ」は種子ガ島では「マキ」になる。
その意味は「集落=町の原型」である。
祭事が行なわれるのは首都で、
そこは当然多くの人が住む所である。
そこで「マチ」はその場所の代名詞にもなったのである。
一つの単語が二つの日本語に分裂したのだ。
この町と同じ意味の日本語に「市=イチ」がある。
これはマチが「死者の祭り」であるのに対して
「生者の祭り=イキ」を意味する。
「イキ」は沖縄~大隅語では「イチ」である。
卑弥呼に代わって女王になった「壹與」とは、
この「イチ王=イチュウ」への当て字だったのである。
これは「イキュウ=イチュウ」で「位宮・斎王」と書いても同じ発音になる。
この「イチ」が町に代わって
その場所の代名詞になったものが「市」だったのである。
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