ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年4月8日日曜日
マレー語に関する章(53)明確に断定できる「卑弥呼のいた場所」
《明確に断定できる「卑弥呼のいた場所」》
「明確に断定できる「卑弥呼のいた場所」」
以上で、
倭と鬼道と仏教と五彩圏連邦とが、
絶対に切り離せないものだったことが、
よくおわかりいただけたと思う。
そして連邦以外は壹與の時代にはもう消滅してしまった。
それは「マチ」が「イチ」に変わったように、
厳密にいえば「鬼道の国=倭国=仏教国」ではなくなって、
「邪馬神の市=シンドゥ教の都=神道の国」が全く新しく生まれた。
それを帯方郡使が『邪馬壹国』と記録したのは当然であって、
間違ってや邪馬「臺」国などという、
何の根拠も、発音もない国名は、絶対に書かなかったのである。
かりに邪馬臺という名詞が当時もあったとすれば、それは国名ではなく、
インド、サンスクリット語の
「ジャムブ・ディパ=素晴らしい世界・宇宙・土地」という
形容詞から訛ったもので、
「伊支馬・壹與・市・一の宮・薩摩(マレー語で1の国)」などという
名詞はこれからは生まれないから、
「邪馬壹国」は絶対に無関係、間違いだと断定できるのである。
これと同じくらいはっきり断定できるものに「卑弥呼のいた場所」もある。
「耶馬台国はどこか?」といまだにいう者がいるが、
それは古代隼人の中心地だった
現在の国分市・上井(ウワイ)である。
ウワイという地名は全鹿児島県下でもここ以外にはない。
偉大な歴史をもつ国名への尊敬と恐れが、
この国宝的文化財地名を手つかずで保存させたのである。
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