ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年3月25日日曜日
マレー語に関する章(39)推古天皇と斉明天皇の共通点
《推古天皇と斉明天皇の共通点》
「推古天皇と斉明天皇の共通点」
次に、福岡の「香椎=カシー国」も「炊屋」に当たる点を考えてみよう。
彼女は吹田に住んでいたのだから、そこに「炊」の地名が残り、
それを消すために「カシー」は「スイ」という発音に変えられ、
後世にはさらに当て字も「吹」に変わった。
しかし都から遠く離れた福岡には「香椎」という発音と当て字がそのまま残った。
それは単に距離の遠さだけでなく、
そこにその女帝本人が葬むられているという消しがたい悲劇の記憶が、
真実の名を永く残したのである。
これはまた、吹田と福岡の双方に彼女の歴史がまたがっていたという手掛かりでもある。
しかしこのことは、『日本書紀』では斉明天皇一人の死の歴史としてしか書いてないので、
今ここで、この「名乗り」の謎が解けたことによって、天皇名の実体が明らかになり、
福岡とは何の関わりもない推古天皇の名乗りだけが福岡に残って、
反対にその名乗りをもたない斉明天皇が
そこで死んだことになっている『日本書紀』の矛盾から、
推古・斉明の2天皇が実は同一人だったという事実が明らかになったのである。
だがそれだけでなく、
それには「倭国史」にとって、もっと重要な他の要素も絡んでいる。
それは「カシー」という名詞の歴史が卑弥呼をはじめとする謎の女王名の秘密を
解き明かしてくれたからである。
カシーの本来の意味は「愛」というマレー語で、
「卑弥呼」という名詞と同じ意味をもった
「倭女王を意味する古語」の遺物である。
そのために、
古代に同じ福岡で死んだ女王・壹與=神功皇后の名乗りとも混乱している。
しかしそれらが一つずつ解けていって完全に解明された現在では、
この名乗りと地名の関係は、推古・斉明二天皇が実は同一人であり、
しかも吹田と香椎とにまたがる歴史をもっていることを
はっきりと示しているのである。
なぜならそれ以外には斉明天皇が死んだ福岡と、
推古天皇が君臨していた吹田との間に、
こんな「名乗りの重なりや分布」が起こる理由は絶対にないからである。
だが旧式の史学はこんなに大きな矛盾にも気づかずに、
現在まで間違ったことを教え続けてきたのである。
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