2012年3月11日日曜日

マレー語に関する章(25)ビルマ、マレー、日本に残るソナカ王国の足跡



 《ビルマ、マレー、日本に残るソナカ王国の足跡
 「ビルマ、マレー、日本に残るソナカ王国の足跡

 当て字を使って「諏訪の国」と書くこともできるから、

 これは確かに日本のことだという気がするかもしれない。

 しかしそう思うのは早合点で、

 この国はミャンマー(=ビルマ)のことだと分かっているのだが

 「それでは日本と全然、無関係だ」と思うと、

 それもまた早合点なのである。

 この「スバンナ」は、アショカ王やお釋迦様が使っていた

 古代インド語の「パーリ語」で、黄金という意味である。

 これは日本が「黄金の国ジパング」として

 マルコボーロに紹介されたことを思いださせる。

 それは13世紀のことだが、

 彼はその情報を中国人から聞いたのである。

 その中国ではいつから日本と黄金を結び付けて考えていたのか分からない。

 「こがね(黄金)花咲く」とうたわれた奥州は、

 まだ正確には分からないほど、

 もっと古くからの産金地だったからである。

 同じ13世紀に、

 暴風にあって沖縄へながれついた九州の商人が写生したスケッチがあるが、

 その風俗は完全に、

 今ビルマからタイにかけて住んでいる「カリエン人」と同じなのである。

 それはどちらも鉢巻きを左結びにするところまで同じだし、

 沖縄の婦人たちが、髪の毛を巻いて、

 一本のカンザシで止める、あの風俗もまた共通なのである。

 それだけではない

 「チヌ」と呼ばれていた沖縄では「キをチ」と発音していたのだから、

 それを翻訳すれば「キン」にもなる。

 またマレー語では黄金は「アマス」という。

 これは「スをッ」と発音する鹿児島語なら「天津」と書く。

 沖縄の「チヌ」はたしかに「天」の意味ももっているから、

 それは同じ三母音語のマレー語からきた

 「黄金」の発音が「アマ」という言葉を産んだとみていい。

 こうして見てくると、普通では入ってこない言葉まで説明がつく。

   言語復原史学会
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 《参考》
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