ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年3月20日火曜日
マレー語に関する章(34)確定している邪馬壹国の所在
《確定している邪馬壹国の所在》
「確定している邪馬壹国の所在」
つぎの例は
その鹿児島県が古来別名を「サツマ」と呼ばれていたことである。
この「サツ」はマレー語の「一(いち)」である。
するとそこが「邪馬壹(いち)国」と呼ばれ、
その女王が「壹與(いちよ)」と呼ばれ、
その最高支配者が
「伊支馬=イチマ=一国の王」と記録されている理由が一つ残らずわかる。
「サツマ」とは「一国」をマレー語読みしたものだったのである。
この「一」は日本語独特の数詞である「ヒ・フ・ミ・ヨ」の「ヒ」である。
これは「日」と同じ発音をもっているから、一の国はそのまま「日の国」である。
先にお話ししたように、
『旧唐書』は7世紀の小国日本を、
鹿児島県以外にない地理条件で記録していた。
そこは一の国と同じ国だとすれば、
「日本」の語源は
この「一(ヒ)の国」から「日(ヒ)の国」へと、当て字が変わり、
それに「都」という意味の「モト(本)」がついて
「日のモト(日本)」になったことが完全に理解できる。
これだけの複雑な条件に合う地域はここ以外にはない。
これが邪馬壹(いち)国が鹿児島県だというキメ手でもある。
このことはご覧のように
『記・紀』も『三国史記』も『旧唐書』も、
そして『魏書倭人章』も、すべての記録が「異口同音」に完全に一致して証言している。
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