2012年1月10日火曜日

「光華明彩」(10)



 出典:日本書紀 巻第一 神代上 第五段一

 「光華明彩

 《ギリシャ人はどこから来たか?

 ここで私たちは、

 もう一つ重要な「証拠」を手に入れていることを見落としてはならない。

 それは魏の発音なら「イエッ」である「壹」を、

 当時の倭人たちはその魏音通りに発音せず「イチ」と発音して、

 壹国を「イチマ=伊支馬」と発音している事実である。

 この「イチ」は、中国北方の漢魏音に対立していた南方音の呉音(ゴおん)なのである。

 これは魏の強敵、呉の国の言葉だから、

 張政が呉音を知っていたら気を悪くするぐらいでは済まない。

 だが幸いに、彼はそれに気づかず単なる官名として、固有名詞扱いされてすんだ。

 その報告を読んだ魏政府の役人もまた気づかずに、

 そのまま現代まで変更されることなく残った。

 そのお陰で私たちは、

 位宮や壹與たちが呉を経由して沖縄地方に移住してきた

 ギリシャ系ウースン人の子孫だったことに確信がもてたのである。

 それは大隅から奥州に至る我が国の多くの古い地名や姓が、

 そのウースンを意味している事実を知っているだけでなく、

 幼い天照大神の『光華明彩』が、照り徹(とお)したと

 「記・紀」が書く「六合」までもが、

 呉の時代の名残を今に残す県名として実在する事実を知っている。

 六合は現在でも我が国に地名・姓として現存しているが、

 その発音は多く「くに」である。

 「くに」は母国・故郷のこと。

 忘れ難い故郷は呉の六合だと今も歌い続けているのである。

 《光華明彩
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