2012年1月2日月曜日

「光華明彩」(2)



出典:日本書紀 巻第一 神代上 第五段一

光華明彩

卑弥呼の遷都は青い眼が原因

卑弥呼の遷都は青い眼が原因はもう一つ「言い訳だった」と考えられる理由があります。

それは彼女の大急ぎの[遷都]です。

本来なら、立派な宮殿で大国の女王らしく振る舞ってこそ、

魏に対しても威圧と牽制(けんせい)の効果が上がるのです。

千人と称する多数の女官を並べ、

武器をもった衛兵をずらりと並べて、

おごそかに梯儁を出迎えたのですから、

髪の色のほかは全てうまくいったはずだったのです。

それなのにその豪壮な宮殿・楼観・城柵を捨て、

七万戸の大屋(たいおく)を捨てて大急ぎで[遷都]してしまいました。

それは梯儁が帰ったあとで、取り返しのつかない、

ある重大なミスを犯してしまったことに

気がついたからだとしか考えられません。

それはどんなことだったか?。

彼女は髪の毛の言い訳はしたが、

眼の色のことを忘れていたのです。

梯儁がそれに気づかない訳がありません。

とすれば、呉の人々との血縁がバレて、

それを口実に次は魏の侵略にさらされる恐れが充分にあります。

そう考えたからこそ、

普通では非常識にそえる、

とても困難な遠距離遷都を、

それでなくても暗く困難な国際情勢の中で、

やむにやまれず決行したのです。

そうしたセッパ詰まった危機に直面したのでなければ、

軽くみても200万人はくだらない七万余戸の人口を引き連れて、

はるばる南九州の果てまで大移動することなどありえません。

今のような発達した輸送機関のない当時には、

それは空前の難事業だったのですから……。

実は彼女がそれほどまでに、

遷都実行を迫られたのは、

呉王との血縁が事実だったからだとみられるものがまだ他にもあります。

それは『記・紀』に使われている

六合(りくごう)]という言葉です。

天照大神の誕生の記事によれば、

卑弥呼は沖縄の伊是名(いぜな)島で生まれましたが、

彼女は「光華明彩で六合の内に照り徹(とお)っていた」と書いてあります。

そのため両親である伊是名王(イザナキ)、伊是名女(イザナミ)の神が、

こういったと書いてあります。

「わが子はたくさんいるが、

こんなに霊異な児ははじめてだ!……ここに永く置いてはいけない。

早く天に送って天上の仕事をさせよう!……」

これが「大日霎貴(オオヒルメノムチ)」で、

一書には「天照大神」と書いてある、

という書き加えもありますから、

のちに天照大神になった卑弥呼に一致するのです。

光華明彩

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