2012年4月20日金曜日

マレー語に関する章(65)山幸と邪馬壹国とは全く同じもの



 《山幸と邪馬壹国とは全く同じもの
 「山幸と邪馬壹国とは全く同じもの

 「邪馬壹国 1」

 その変化は狗奴国を考えると一目瞭然だ。

 卑弥呼時代は「不属 女王」だったが、革命後は不属どころか、

 女王国の中心勢力になったからである。

 この勝者敗者の対比は、すでにご存知のとおり神話の『海幸山幸』として記録されている。

 弟の山幸の名を復元してみると、「山」は「邪馬」の唐代の発音変化後の当て字だとわかる。

 では「幸」とは何か?。

 この神話の舞台は、日向神話という分析名でも明らかなとおり南九州である。

 南九州では「幸」 は「サッ」と発音する。

 このサッは古代国名の薩摩のサツだとみると、

 サツはマレー語の「1」が語源だとわかっているから「壹」と書いても向じもの、

 すなわち「山幸」と「邪馬壹」とは全く同じものを指す名詞で、

 山幸はマレー語系の人たちが呼んだ国名であり王名だった。

 そのフルネームは山幸彦だから、張攻なら邪馬壹卑狗と当て字したであろう名乗りで、

 山幸彦は後世の日本式当て字、両者は全く同じものである。

 この名の歴史は、まず247年に邪馬壹が生まれ、当時はジャマ イエッと発音していたが、

 その後、マレー語系の住民たちによってジャマ サッと呼び方が変えられ、

 その後さらに神話化した。

 その時期は「邪馬」が「ヤマ」と唐音になっているので8世紀前後だったことがわかるし、

 その神話化地域はサッをサチと発音する地域、近畿圏だったことも立証できる。

 言語復原史学会
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