2012年4月8日日曜日

マレー語に関する章(53)明確に断定できる「卑弥呼のいた場所」



 《明確に断定できる「卑弥呼のいた場所」
 「明確に断定できる「卑弥呼のいた場所」

 以上で、

 倭と鬼道と仏教と五彩圏連邦とが、

 絶対に切り離せないものだったことが、

 よくおわかりいただけたと思う。

 そして連邦以外は壹與の時代にはもう消滅してしまった。
 
 それは「マチ」が「イチ」に変わったように、

 厳密にいえば「鬼道の国=倭国=仏教国」ではなくなって、

 「邪馬神の市=シンドゥ教の都=神道の国」が全く新しく生まれた。

 それを帯方郡使が『邪馬壹国』と記録したのは当然であって、

 間違ってや邪馬「臺」国などという、

 何の根拠も、発音もない国名は、絶対に書かなかったのである。

 かりに邪馬臺という名詞が当時もあったとすれば、それは国名ではなく、

 インド、サンスクリット語の

 「ジャムブ・ディパ=素晴らしい世界・宇宙・土地」という

 形容詞から訛ったもので、

 「伊支馬・壹與・市・一の宮・薩摩(マレー語で1の国)」などという

 名詞はこれからは生まれないから、

 「邪馬壹国」は絶対に無関係、間違いだと断定できるのである。

 これと同じくらいはっきり断定できるものに「卑弥呼のいた場所」もある。

 「耶馬台国はどこか?」といまだにいう者がいるが、

 それは古代隼人の中心地だった

 現在の国分市・上井(ウワイ)である。

 ウワイという地名は全鹿児島県下でもここ以外にはない。

 偉大な歴史をもつ国名への尊敬と恐れが、

 この国宝的文化財地名を手つかずで保存させたのである。

 言語復原史学会
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 《参考》
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