2012年3月29日木曜日

マレー語に関する章(43)アイヌ文化ははっきりと南方系の特徴をもっている



 《アイヌ文化ははっきりと南方系の特徴をもっている
 「アイヌ文化ははっきりと南方系の特徴をもっている


 民俗学のほうからも少しみてみよう。

 アイヌの人々は今、北海道やサハリンにいるから、

 北方の土着民だと長く信じられてきたが、

 彼らのもつ文化をみると、それが根底からくつがえる。

 何よりもはっきりしているのは、

 本書の冒頭でお話しした

 遮光器土偶のような完全防寒服をもっていなかったということである。

 彼らの青物は「アツシ」と呼ばれる純粋な「和服」である。

 日本の着物の源流なのである。

 それは足の脛(すね)を寒風に露出している。

 北方人のイヌイト(エスキモー)人のようなズボンは愚(おろ)か、

 下ばきさえも使わない。

 その材料も完全に植物繊維製で、毛皮製ではない。

 またその装飾文様もまるで違う。

 頭を包む被(かぶ)りものも、

 沖縄のエイサー踊りに見るインドネシアと共通のものである。

 そして最も極端なのが、履物である。

 イヌイトたちは毛皮製の腿(もも)まであるロング・ブーツをはくが、

 アイヌの人々は絶対にそんな長靴は履かなかった。

 また早くから指摘きれているものに「発火方法」の違いがある。

 石の表面に窪(くぼ)みをつけたものがみつかる。

 これは火を作るときに「火切り杵(きね)」の上部を押さえるものであるから、

 かつてはアイヌ人のものだといわれたが、

 実際はアイヌ人は、

 それより原始的な木に穴をあける「錐(きり)」のような「もみ錐」を使っていて、

 石では押さえない。

 「窪み石石器」を使っていたイヌイト人が去った後へ、

 アイヌ人がきたことがはっきりわかる。

 人類学では彼らは短頭人に属するが、

 それは沖縄の八重山~宮古から始まって薩摩半島~出雲~伊勢と同形である。

 また女性が口の周囲に入れ墨し口琴を鳴らすのは台湾のアミ人と同じだ。

 どれをみてもアイヌ人は南からの人で、

 東北・北海道に住むようになった時期は7世紀以後である。

 それは歴史的にみても、

 天武天皇十一年に越の蝦夷が郡を作った、

 というのに始まって、

 次第に郡や国の数が増えていくのを見てもわかるし、

 やがて8世紀に入って反乱と討伐が始まり、

 9世紀初めの

 坂上田村麻呂の大将軍任命による大掛かりな討伐で

 北海道へ追いやられた経緯、

 またその田村麻呂も、

 その地域長官も、

 たとえば百済王・教俊といった百済系の同族出身の人物であることなど、

 十分にこれまでの検討結果と符合するものばかりである。

 「逃げた倭人=アイヌ婦人」

 自称はアイノ・ウンクル。

 これは「愛の人」と同じ発音と意味になる。

 この「愛」はインド語の「ペマカ=卑弥呼」、

 マレー語の「カシー=観世音=香椎」で、

 鹿児島語の「エ=埃」=埃ノ山陵=可愛山陵や

 吉野ケ里遺跡や継体天皇の藍野陵や

 蘇我稲目などにも結びつき、

 それが蝦夷・毛人と呼ばれてきたことと重なり、

 ギリシャ系インド人と

 台湾の山地居住民との共通性

 (婦人が口の回りに入れ墨をし、

  この写真のような「アイヌ名=ムックルという口琴」を

  三者が皆もっていることなど)と、

 カラフト・アイヌの自称がエムチュウといい、

 その「チュウ」は沖縄語の「人=チュウ」と一致し、

 その容貌も沖縄的で、

 アイヌ伝承と沖縄伝承と

 共通点が多いことなど多くの理由によって、

 どうしても倭国政権と無関係だとは考えられない。

 さらにこの写真のような着物の模様も、

、次章扉の「山字文貝装身具」様式と共通しており、

 熊祭がシンドゥと仏教を折衷したものであり、

 熊毛の名にも関係があることなど、

  挙げればキリがないほどのものが見つかっている。

 「8世紀日本の範囲」

 鹿児島以南と東北地方は外国だった。

 これが天照大神のいう豊葦原瑞穂の国。

 西海道:薩摩・大隈・日向・肥後・肥前・豊後・豊前・筑後・筑前・壱岐・対馬

 南海道:土佐・伊予・阿波・讃岐・淡路

 山陽道:長門・周防・安芸・備後・備中・備前・播磨

 山陰道:石見・出雲・伯耆・隠岐・因幡・但馬・丹後・丹波

 畿内 :山背・摂津・河内・和泉・大和

 東海道:紀伊・志摩・伊勢・伊賀・尾張・三河・遠江・駿河・伊豆・甲斐・相模・安房・
     上総・下総・常陸

 東山道:近江・美濃・飛騨・信濃・上野・下野

 北陸道:若狭・越前・加賀・能登・越中・越後・佐渡

   言語復原史学会
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

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