ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年3月27日火曜日
マレー語に関する章(41)卑弥呼以前には中国にも菩薩号の使用はなかった
《卑弥呼以前には中国にも菩薩号の使用はなかった》
「卑弥呼以前には中国にも菩薩号の使用はなかった」
この「愛・埃」を土地の人たちは訛って、どちらも「エ」と発音している。
このエの山陵は「神代(じんだい)三山陵」と呼ばれるものの一つで、
従来は、
本題の「天孫降臨」の主人公・ニニギのミコトの御陵だということになっている。
卑弥呼の死後に女王になった壹與もまた同じ「エ」または「カシー」の名で呼ばれた。
壹與は[神功皇后紀]の後半のモデルであって、
福岡に察られているのが今の「香椎宮」で、昔の「香椎廟」である。
この香椎は「愛」のマレー語のカシーなのだ。
彼女らがいた場所が「カシー院」と呼ばれていたことも、
九州各地に今も何カ所も残っている「……院」という当時からの古地名ですぐわかる。
この「カシーイン」という名詞によって、
さらに彼女らがその死後に仏または神として崇拝され、
その信仰が次第に中国に広がっていったのが
「観世音菩薩」信仰であったことも、
今ではその発生から拡大まで時代別に詳細にわかっている。
「菩薩」という名詞は、
従来はインド語の「ボダイ・サットヴァ」の省略だろうとされてきたが、
「菩」の菩は「ホまたはプ」で、意味は穂・豊・百など南西諸島を意味する「ホ」であり、
「薩」も薩摩の国の「サツ」に一致するのである。
これはやはり地名を並べた名乗りなのであって、
「日の薩摩のカシー院姫」という意味なのだ。
それは「カシー」のあとに「黄国=キヤ」をつけて
「カシ・キヤ=黄の国のカシー」姫という
推古天皇の名乗りにしたのと同様のものである。
中国では現在も観世音菩薩を「南海古仏」と呼んでいる。
これは中国の南の海の国の仏という意味以外には考えられないし、
またその南海の観音の聖地を「普陀落(フダラ)」と呼ぶが、
これも種子ガ島の古代国名「百済=ホダラ」を沖縄発音で「フダラ」と発音したものに一致する。
後世に栃木の日光を「二荒(フタラ)山」と呼んだのも同じ信仰に基づいているから、
それが日本の南西諸島を指していたことは疑いの余地がない。
また菩薩号の使用は後世のもので、卑弥呼当時以前には中国にも記録がない。
そしてその鹿児島県では今も、
「観音詣で」のことを「ヒメコさあ=卑弥呼様」に行くという。
「観世音菩薩」とは「卑弥呼」だと、今だに、はっきり伝えているのである。
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