ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年3月26日月曜日
マレー語に関する章(40)木花開耶姫はなぜ神話化したのか?
《木花開耶姫はなぜ神話化したのか?》
「木花開耶姫はなぜ神話化したのか?」
次はそれらの名乗りが、さらに新しい謎を解いて、
当時の支配体制の姿を浮き彫りにするという事実をご覧いただこう。
繰返しご注意いただきたいのは、
これまでお話ししてきた
十三・三津屋・木川といった小さい町村ていどの地域の名を
彼女らの全領地だと思ってはならないという点である。
推古天皇は天皇としては斉明天皇の別名にすぎないが、
その実体は連邦の女帝で倭国女王だったのだから、
「豊御」は十三にも合うが、豊日にも合う。
これは明らかに豊日国=豊島郡全体を指している、といったことなどである。
では十三は何なのか?
領土の名とそこを治める役所の名は同じだから、それは豊日国の役場や、
豊日女王の宮のある場所だ。
十三は小国の都心の名だったのである。
同じようにみると、三津屋は「三の国=三之国」だから隣接する三島郡。
木川は大阪南部から和歌山県にかけての「チヌ国・キノ国」の役所も含むし、
また隣接した「三国」には、
高句麗・百済・新羅の三韓三国を管理管轄する役所があったとみるべきである。
もちろんこれだけで倭国連邦の領土全部は表現できない。
倭の五王でさえ、200以上の小国を治めていた。
それをすべて名乗りに入れることは不可能なので、
代表的な国名だけを身近なものから大きさ順に並べている。
それと同じ型式だから、彼女たちの名乗りでも、
彼女たちが「どこに住んでいたか」がわかるのである。
それが「豊日の天皇=孝徳」の都に近い十三だったのだ。
「言語復原史学」の働きがおわかりいただけただろうか。
その斉明天皇の宮居に隣接して、
チノ・イラツメ・別名・木花開耶姫が住んでいたのが、
今の木川町だった。
とすれば、
これまで『記・紀』の
『日向神話』と呼ばれていたものに登場する木花開耶姫は、
いったいどういうことになるのだろう……。
この間題は、この本の最初にふれた「日本人は宇宙人か?」
という疑問に直結した答えになる可能性がある。
なぜならその『日向神話』では、
この健闘の主人公『天孫降臨』のニニギのミコトの夫人こそ、
この木花開耶姫なのだからである。
彼女は日向の吾田の長屋というところで
ニニギのミコトと結婚したことになっている。
それは同名異人で、他に別の木花開耶姫が存在したのか。
それとも逆に、
この7世紀の木花開耶姫の話が、神話の中に入ったのだろうか。
それはありえないことではない。
夫の天智天皇も第1代・神武天皇の部分に入りこんでいる。
とすれば『日向神話』は本当に全部が神話なのだろうか……。
その人物は、最初は卑弥呼である。
彼女は「ヒミコ」と読むのが当然のようになっているが、
卑弥呼という漢字の3世紀当時の「魏の発音」は「ペ・ミャ・ガ」である。
これはインド・パ-リ語の「愛=ペマカ」の沖縄訛りである。
当時の沖縄~南九州は邪馬壹国の「壹、一」を
マレー語で「サツ=壹・マ=国」と
呼んでいたことでもわかるし、
沖縄語そのものがマレー語の一種の三母音語であることでもわかるように、
多くのマレー語を話す人々が住んでいた。
だからその人々は自分たちの言葉に翻訳して女王を「愛=カシー」と呼んだ。
同じことは中国系の人々も実行していて「愛=アイ」と呼び、
その墓に「アイの陵」と名づけている。
鹿児島県川内市にある「可愛山陵」や大阪府高槻市にある「藍(あい)野陵」がそれだが、
10世紀初めの政府の法令集『延喜式(えんぎしき)』では、
同じ発音だが、卑(いや)しい言葉の「アイ=埃(ホコリ)」の字にわざわざ変えて
「埃山上陵」という字を当てている。
旧倭国に対する憎しみが、
こんなところにも現れていることに注意する必要がある。
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