2012年3月23日金曜日

マレー語に関する章(37)邪馬壹国誕生時の五彩圏配置


邪馬壹国誕生時の五彩圏配置
邪馬壹国誕生時の五彩圏配置

その一番わかりやすい例を、

あなたがよくご存じの『魏書倭人章』の国名でご覧にいれよう。

その中にある「支惟国」は誰が考えても「キイ国=貴国」である。

これは女王国以南の旁国の中に入っていて

「遠絶で詳しくわからない」ところにあった。

しかし先にみたように

佐賀市付近の「キイ郡=基肄郡」はこれとまったく同じ発音をもっている。

私たちはすでに、ヒミコ政権が倒されて邪馬壹国が生まれた直後に、

伊都国の隣りに南から奴国が移動した事実を知っている。

先に霧島が地元では「キイシマ」と発音されることもお話しした。

この三つのキイ国も同じように移動してきたものの、

元の地名と後の地名だと考えることができる。

そして「黄=基肄」の場合の「白=平戸」も知っている。

これは長崎県にある。

その名からわかることは、

「ナガ」は「奴(な)ガ国」の一部だということである。

古代には「前」を「サキ」と読むから「奴ガ前=ナガサキ」になる。

長崎は「肥前=日の前の国」であり、

平戸は「ヒラト=日羅門」で「日の国の入口の港」という意味である。

この日の国は、

旁国ではマレー語で「ハリ(日)国=巴利国」と当て字されていて、

同じように移動してきたことが簡単にわかる。

では対照的な東の大分はどうなるだろう?

そこは「豊後大分」である。

豊後は「不呼国」であることはわかっているから、

これも旁国が同じように移動してきたことがわかる。

ついでにお話しすると、

その大分もオオイタと発音するのは後世のことで、

もとはやはり旁国の一つ「烏(ウ)奴国」である。

この「烏」の当て字は、

奄美大島の「大=沖縄語でウフ」に対する当て字だから、

大分も「大=ウ」「分=フン」で、

やはり「ウフの(ン)国」に対する北九州式当て字なのである。

それが「オオ」の発音で「青=倭」を意味したのだ。

これで「黄=基肄」を中心にした東西線は、

それ以前のヒミコ政権時代には南の旁国の中にあった五つの国が、

邪馬壹国の誕生と同時にまず

「奴国」と「不弥国」が九州北部の中央に移動し、

それと同時か、あまり時間差のない時期に、

他の「支惟国」と「巴利国」と「不呼国」とが、

それと平行して南から移動したという事実が、

地名ではつきり読みとれたのである。

以上で「黄=基肄」を中心にした東西線は、

ヒミコ戦争の戦後に生まれたことが確認できた。

歴史記録と地名とをより精密に比較し分析すれば、

どの国は、いつ、どこまで、なぜ、移動したかといったことが、

年代別に特定できる、という事実が、よくご理解いただけたと思う。

こんなに見事に歴史の復元ができるのは、

私(加治木義博)の復元した邪馬壹国の位置が正確だという証明なのである。

他の邪馬台国説では、これは絶対に不可能なのだ。

北九州説では二つの奴国の説明もできないし、

大和説では途中にある多数の「東西線」全部の説明がつかないだけでなく、

こうした旁国の位置関係のような、ありとあらゆる証拠が、どれもこれも食い違う。

こうしたことのすべてが、

五彩圏の移動の状態は、本シリーズの主題である建国の歴史が、

私(加治木義博)がこれまでお話ししてきたとおりだったと証明する。

過去の

「紀元前後に神武天皇が、奈良に攻めこんで、

それ以来奈良にヤマト政権が存在した」という

「間違った皇国史観」が何一つ合理性がなく「真実ではない」と、

徹底的に雄弁に立証しているからである。

なぜなら、

ご存じのとおり五彩圏が奈良に届いたのは、

仁徳天皇より後、

倭王・武=允恭・雄略天皇のときだからである。

それは五王の名乗りも、天皇たちの名乗りも、その他の地名・国名なども、

すべてが異口同音に声をそろえて証言しているのだから、

その全部をくつがえすだけの証拠と証明がそろわないかぎり、

この結論をわずかでも変えることはできない。

これで五彩圏が、北上し、東進したことが確認できた。

その時代もまたはっきりわかった。

その主義が誰々であったかもわかった。

私たち日本人の出発点を、どこにとるかは自由だが、

これまでに3千年を超える歴史がわかった。

なにも紀元ごろなどと遠慮することはないのだ。

言語復原史学会
言語復原史学会

『参照ブログ』
古代メソポタミア
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録 
古代史ブログ講座
歴史徒然
ネット歴史塾
オリエント歴史回廊(遷都)    
古代史の画像 
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」         
ひねもす徒然なるままに  
古代史つれづれ

《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

0 件のコメント:

コメントを投稿