ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年3月21日水曜日
マレー語に関する章(35)クダラもマレー語
《クダラもマレー語》
「クダラもマレー語」
このマレー語は、
百済を「クダラ」と読むことにも残っている。
百済は漢字のもつ発音でも意味でも、
どんなにしても「クダラ」とは読めない。
だがマレー語で「クダ」は「馬」のことである。
もうおわかりのように朝鮮半島の百済は、
ヒミコ当時は「馬韓」と書かれている。
これはマレー語の「クダ」に「韓=カラ・ガラ」を、
「が国(ラ)=の国」の意味で当て字としてつけたもので、
「馬国」という国名だったのである。
国をラと発音する人々には、
それは「クダラ」としか発音できなかったのだ。
そこが後に「百済(ホズミ)」のものになっても、
漢字を知らない人々にとっては、そこは「クダラ」という土地でしかなかった。
あとから来た「百済」という漢字は、
やはり永遠に「クダラ」と読まれることになった。
これとまったく同じことが、
奈良の「飛鳥」や「春日」でも起こつている。
マレー語は、日本、朝鮮半島だけではなく、
もっと北のシベリアにもたくさんの地名を残している。
スンガリー(松花江)は「大河」。
ウスリー(烏蘇里江)は「源」というマレー語。
このウスリー江はハンカ湖という独特の広大な源をもった川だからである。
それはソナカ宣布団がマレー語圏から大量の人々を連れて来たし、
それ以前にもカリエン人などが、
水稲栽培を日本列島や朝鮮半島南部にひろげている。
そしてこれまで古代史解明に最も重要で欠くことのできない言語として
「沖縄語」が登場しているが、
その第一の特徴である「三母音語」はマレー語族の特徴なのである。
それを遠くシベリアまで運んだ人々が
『ジンム』でお話ししたカリエン人だったことは、
もう申し上げるまでもないと思う。
言語復原史学会
言語復原史学会
『参照ブログ』
古代メソポタミア
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
古代史ブログ講座
歴史徒然
ネット歴史塾
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史の画像
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
ひねもす徒然なるままに
古代史つれづれ
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿