ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年3月19日月曜日
マレー語に関する章(33)日本語は大量のマレー語でできている
《日本語は大量のマレー語でできている》
「日本語は大量のマレー語でできている」
[後漢書・烏桓伝]の81は「部族の数」で、
『古事記』の81は「船の数」で、
『日本書紀』の81は「天皇の寿命」で、
どれもまるで一致しない。
これは単なる「偶然」の一致、関係があるとみるのはムリだと思ったこともあった。
しかし、『日本書紀』の81は、意識的にスリ替えたものだとわかると、
残る「部族の数」と「船の数」の問題は、
立派に理由のある食い違いで、
偶然ではないと立証するつぎのようなキーがみつかった。
その第5のキーは「マレー語」である。
日本語は大量のマレー語でできているということは、
私(加治木義博)の『邪馬臺国の言葉』(コスモ出版刊、1976年)で詳しくお話ししたが、
お読みでない方のために別の例をあげてみよう。
『魏書倭人章』の女王国の旁国の中に
「巴利(ハリ)国」というのがあるが、
その後の移動発展を追っていくと、
現在の兵庫県、昔の「播磨(ハリマ)」になる。
それは国を「マ」と発音したからで、
古代の日本周辺の国々ではこの「マ」を含めて、
国のことを「ラ・マ・ヤ・ナ」という発音と、
その方言訛りで呼んでいたことが実証されている(『ジンム』参照)。
この巴利国は、今の鹿児島県下にあり、地名遺跡もある。
この地方は日向、日の国と呼ばれた地域である。
日をハリと発音するのはマレー語だ。
だがこれ一つでは証拠には不十分だ。
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