2012年3月13日火曜日

マレー語に関する章(27)倭人30カ国の出発点は沖縄



 《倭人30カ国の出発点は沖縄
 「倭人30カ国の出発点は沖縄

 『魏書倭人章』に書かれた倭人連邦の国名を、その順序どおりにみていこう。

 1「狗邪韓国」=この狗邪は「クジヤ」だが、これに合うのは現在の沖縄市の旧名「コザ」。
   これは漢字では「古謝」と書くが、本当の発音は「クジヤ」でピッタリ一致する。

 2「対馬」=「ツイマ・タイマ」が元の字音である。今、奈良県にある当麻寺は「タイマ寺」。
   沖縄では中城村に「当間」がある。

 3「一支」=「イキ」=これは現在の壱岐。与那城(よなぐすく)村に「伊計(いき)」。
   平良市に「池間(いちま)}がある。

 4「末盧」=「マツラ」=沖縄方言では<ラ>を<ダ>と発音する場合がある。
   楽(ダク)。油(アンダ)。葛(カズラ=カンダ)。中村(ナカンダ)。
   だから「マツラ」は「マツダ」と変わる。
   宜野座(ぎぬざ)市に「松田」がる。

 5「伊都」=「イツ」=「糸満市=伊都国(イツマ)ン(の)への当て字。

 6「奴」=「ナ」=那覇市=奴国は「ナマ」。マ=馬=バ。
   那覇は、初めは「ナバ」への当て 字だったものが、「ナハ」と清音に変わったことになる。

 7「不弥」=「フメ・フミ」=これは『倭人章』では「久留米」。
   中国人は「漢」を「ハン」 と発音する。<カ>行<ハ>行に発音するから「クルメ」を「フーメ」   と聞いたのである。
   沖縄では「久米(くめ)島」。「古見(くみ)」竹富町。「来間(くるま)」下地村」。

 8「投馬」=「トウマ」=「当間」。「桃原(とうばる)」も「投馬トウバ・国ラ」である。
   この重箱読みの地名は、那覇市、西原市、沖縄市、国頭(くにがみ)村、与那城村にある。

 9「邪馬臺」=「山田」が名護市と恩納市にあるが「ジャムディ」に合うものはない。

 10「邪馬壹」=この当て字に合う「ヤマンチ」は「山内」で、沖縄市にある。

 11「斯馬」=「シマ」=「島尻(しまじり)」が島尻郡、平良市、仲里村、伊平屋(いひや)村にある。

 12「己百支」=「キモチ」と読めば「久茂地」が那覇市にある。

 13「伊邪」=「イサ・イセ」=「伊佐」宜野湾市。「伊是名村」。

 14「都支」=「トキ」=「渡喜仁(ときじん)」今帰仁(なきじん)村。
  「渡慶次(とけじ)」読谷(ゆんだん)村。

 15「弥奴」=「ミナ」=「水納」多良間島。

 16「好右都」=「コウツ」=「古宇利」今帰仁村。「高離(古名)今の宮城」与那城村。

 17「不呼」=「フコ=フク」=「福地」糸満市。「福里」城辺町(宮古)。

 18「姐奴」=「チナ」=「知名」「知念」知念村。

 19「対蘇」=「トウソ」。「豊見城」は(南九州方言)では「トミゾ」と発言する。
   豊見(とみ)城村。

 20「蘇奴」=「ソナ・スナ」=「砂辺」北谷村。

 21「呼邑」=「ゴヤゥ」=「胡屋(ごや)」沖縄市。

 22「華奴蘇奴」=ぴったりのものはないが「仲宗根」は南九州方言なら「ナカンソン」と発音
   することも可能である。
   この方言は語頭の「ナ」が聞きとりにくいから、
  「カンソン」だけに「華奴蘇奴」と当て字された可能性もある。
   無関係と切り捨てるのは間違いである。
  「仲宗根」は平良市。沖縄市。今帰仁村に分布。

 23「鬼」=「知花」沖縄市。これは「キ=チ。バ=マ=国。ナ=国」とみると、マとナの二つの
  「国」の呼び方が重なっているのがみられる。
   こうした実例はこの地方でたくさんみられる。
   これは別の呼び方をもった人々が、次々に移住してきて前の国名の意味が分からないまま、
   自分たちの呼び方の「国」を、くっつけていった痕跡である
  (例、慶+国ラ=キラ。+国マ=キラマ。+之国シマ=キラマシマ=慶良間島)。

 24「為吾」=これは後世「為イ吾ワレ」=「イワレ」と読まれた地名の原型である。
  「伊波」石川市。
  「伊覇」東風平(くちんだ)村。
  「伊原」佐敷村。

 25「鬼奴」=「キナ・チナ」=「喜名」読谷村。
  「知名」知念村。
  「宜名真(ぎなま)」国頭村

 26「邪馬」=「ザマ」=「座間見」村。

 27「躬臣」=「カンジン」と読むと「兼次(カニジ)=今帰仁村」が近いがキュンジンと読むと
  「今(キン)帰仁村」の方が近くなる。
  「今帰仁」の今の発音は「ナキジン」。

 28「巴利」=「ハリ」=沖縄の三母音語はマレー語の影響がたくさんみられるから、
  「ハリ=日」とみると、
  「平=ヒラ=日国」で「平良」市のことになる。

 29「支惟」=「キイ・チヂワ」=沖縄の古名は「キヌ・チヌ」で、
   それが「紀」や「紀伊」と書かれたことは『ヒミコ』で詳しく説明ずみである。

   だからこれは広く沖縄を指しているが、

   これは漢・魏時代の上古音で読むと「チヂワ=千々石=長崎県大村湾の古名」に一致する。

   (拙著「邪馬臺国の風雪』1985年・言語復原史学会刊、参照)

   沖縄の「喜舎場(チジャバ)」は鹿児島市の「騎射場」とともに「チヂハ=チヂワ」と
   同じものへの沖縄型当て字で、それらのルーツに当たる。

 30「烏奴」=「恩納(ウンナ)」がよく合うが、
  「宇根」仲里村。
  「宇良」国頭村なども同じ仲間である。
   これを「ウド」と読むと
      「大度」糸満市。
      「大堂」本部町などが合う。

 「狗奴国」は倭国に属さないから、

 後の章で改めて別に詳しく検討することにする。

 これらの地名が全部、のちの邪馬台30カ国になったわけではない。

 それらの土地の出身者が新しい移住先に故郷と同じ名をつけ、

 それが発展して、当時の「国」になったのであって、

 国といっても千戸から数千戸ほどの町村程度のものだった。

 しかしそれでもその総計は沖縄県には入り切れない大きさに達していた。

 首都の邪馬壹国だけで7万戸、

 大家族だからどんなに少なく見積もっても200万人を超える。

 現在の沖縄県全体の総人口に匹敵するのである。

 『参照ブログ』
 古代メソポタミア
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 古代史ブログ講座
 歴史徒然
 ネット歴史塾
 オリエント歴史回廊(遷都)    
 古代史の画像 
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」         
 ひねもす徒然なるままに  
 古代史つれづれ

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

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