2012年3月4日日曜日

マレー語に関する章(15)伊都国とは何であったか



 《伊都国とは何であったか
 「伊都国とは何であったか

 しかし<伊都>と<奴>が、どういう関係にあるかは是非知っておかねばならない。

 上代語の「津」が

 「何々の」の「……の」にあたることはもう充分御承知の事実であるが、

 この<ツ>と、マレー語の「ツ」は殆んど同じ意味をもっている。

 「何々の」「その」「あの」という意味に使われているからである。

 もっとも現代ではこれに<イ>がついた<イツ>の方が標準語化して用いられるが、

 ともに古くから実在したもので、

 日本語の「彼(あ)の人」を意味する「アイツ」もこのイツが語源である。

 <イツ>は上代語の<津>であり、助詞の「の」であって、

 本来は<イタイ>から生れた<伊都>とは別語であったが、

 民族混合体の中でこれが同音になってしまい、

 「津(ツ)」は沖縄系の人々によって同意の「奴(ぬ)」と呼ばれていた。

 そこは豊葦原の沼沢地帯で「沼(ヌ)」の国であり、

 人口は急激に増えて二万戸を超えた。

 そこで先にみた横構改革が行われ、軍団から分離した国の名に、

 通称の「奴(ぬ)」が与えられたのである。

 この<奴(ぬ)>はのち上代語人によって<ナ>と発音された。

 だから<ヌ>の音によむことのできない

 那(ナ)や娜(ナ)、難(ナ)の字は時代が下るのである。

 しかし、

 この国が娜の津、難国(ナヌバ)(マは馬などでバ)、

 津の国でもあったことは注意を要する。

 これらが福岡や大阪だけと思う者には古代史の謎ときは無理なのである。

 だが、この<伊都>と<奴>の地に、

 いま<佐賀>という都市があり、

 この<サカ>と大阪のサカが、

 共に<奴の国>と<難波>であることを見逃してはならない。

 大阪は佐賀が移動して生れた地名であることがハッキリわかる。

 <邪馬臺>がのちに東遷して<山代>または<大和>となった時、

 伊都は大阪に移って、軍団国のつとめを果し、

 <奴>は<難波>、<津>となって経済面を担当した。

 大和とすると伊都郡(和歌山県)が、

 伊都国であることは明らかであるから、

 大阪はそれ以外の、山代時代のものということになる。

 さきに梶山氏の業績を紹介した通り、

 当時の大阪は半島状の砂州で河内潮と大阪湾を封鎖しており、

 水路で淀川をさかのぼって山代へ出入する門戸をなしていた。

 和歌山の伊都郡が紀の川をさかのぼって大和へ入る要衝にあることと同じである。

 とすれば大阪は奴ではあっても何故、伊都ではなかったのであろうか。

 この謎をとくカギが思いがけないものなので驚かないで戴きたい。

 <サガ>が魏志記事の「臨津捜露」の捜の字が語源だというと、

 まさかと思われるとおもう。

 だが、捜は「捜す」という日本語に合い、

 <佐賀>と同音であることは反対の余地がない。

 また<坂>、<阪>と書かれている通り、

 <サカ>と清音によまれた可能性も認めざるを得ない。

 <サカ>という発音は、

 古く「塞(サカ)」という語があり、

 <柵>が<サク>とよまれるのも、

 それが「塞く」ものであるためである。

 柵はそのまま「城塞(サク)」だったし、

 「塞く」一手段の一つとして、城塞には坂(サカ)が設けられた。

 逆(さか)らうの<サカ>も、

 境(サカイ)の<サカ>も、

 険(さか)しいの<サカ>も、

 下(サガ)るの<サガ>も、

 結局は同じ語源から出ていることはおわかりと思う。

 ところが「捜(さが)す」だけが、

 これらとはどうしても結びつかないのである。

 伊都国の仕事はすでに見たように関所にあたるものであった。

 <セキ>も「塞(セ)き」とめる所で、塞(サカ)の発音変化にすぎない。

 とすると、

 <セキ>や<サカ>の各語は先ず<臨津捜露>する役所、

 <サガ>の庁のある歴代の伊都国から派生したとするほかない。

 ただ一点、

 ここでだけ、捜すと他の<サカ>が一致するからである。

 <サカ>は、

 先にみた大分東端の<佐賀の関>や

 <下の関>(<下>は<サガ>とよめる)、

 <対馬の佐賀>、

 <五島列島の嵯峨の島>、

 <高知県の土佐佐賀>、

 <京都の嵯峨>など、

 いずれも関門としての要地に名を止めている。

 ことに伊豆(イヅ)と相模(サガミ)は隣接する大国の名になって

 後代の発展の跡を止めているのである。

 『言霊(ことだま)のさきはふ国』という表現や、

 カナ文字の考案もこれを意味しているのである。

   言語復原史学会
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

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