2012年3月4日日曜日

マレー語に関する章(13)邪馬臺国と山代国



 《邪馬臺国と山代国
 「邪馬臺国と山代国

 写真:インドの山鉾巡行

 インドを始めヒンドゥ教徒の住む地方では、

 至る所で祇園や八幡社のものそっくりの山車(ダシ)の類が見られる。

 日本のものを仏教伝来以後のものと想像するのはあやまりで、

 これは<シバ信仰>と共に入っていたのである。

 それはこの行事が寺院でなく神社のものであることが証明している。

 写真はカルカッタ西南オリツサ州プリのもの。(インド政府提供)

 京都にはこのほかに<山鉾巡行>で有名な<祇園祭り>があるが、

 この祇園社は八坂神社というのが正式の名であって、

 <八坂刀売命>や<掖邪狗>と同名であり、

 主祭神は牛頭大王スサノオの命である。

 日本三大祭中随一といわれる壮大な山鉾は、

 いかにも日本の古式床しい祭と思われているようだが、

 高楼を組み、多勢の氏子がひいて市街を練り歩く習俗は、

 そのままインドの<ヒンドゥ教行事>である。

 これはいまもインドやマレーシアなど各地で、そっくりのものが見られる。

 こうみてくると京都には長野県とはまた違った濃厚な<ヒンドウ教>の影響がみられる。

 しかも神名からも行事の内容からも、

 それは従来説明されて釆たような仏教の影響ではない。

 なぜなら、

 仏教は平安以後、同じ仏教内でも対立抗争を繰り返した様に排他性の強いものである。

 それが仏教の敵たるヒンドゥの行事を、わざわざ輸入したり拡めたりするはずがない。

 ことに日本の仏教は唐代以後に入ったものは

 インド直伝のものではなく、中国経由のものであって、

 郷土色豊かなインドの風習を伝える余地はなかった。

 なぜなら中国にはこうした<山鉾巡行>など見られないからである。

 それを仏教のものと誤認させるようにしたのは、

 抜きがたい習俗に手を焼いた僧侶たちが、

 <本地垂跡説>を唱え、神仏を混肴した結果に他ならないが、

 ここでは脱線になるから、

 これらを京都へもちこんだ者は誰であったかを考えてみよう。

 これもまた名前が簡単に謎をといてくれる。

 太秦氏と書いてウヅマサ氏と呼ばれた人々

 彼等は平安京が生れる前から、

 京を中心とする山代(やましろ)国の大族であった。

 この<太秦>は<ウヅマサ>と読むのには骨が折れるが、

 <タイシン>と読むのは楽である。

 <タイシン>とはマレー語で「海」を意味する。

 また<タイシン>に<大臣>の文字をあてることもできるが、
 
 <賀茂建角身>(タケチヌミ)という名は<建角身>と沖縄式によめば、

 そのまま<武内(タケチ)大臣(ヌオミ)>という名につながっていることを思わせる。

 <大臣>はまた<大人>とも同音である。

 とすれば紀が<大人>を<ウシ>と発音させる理由が、

 ここで始めて明らかになるのである。

 そして<ツヌミ>と<ウシ>は

 そのまま<ツヌガアラシト>と<ウシキアリシチ>につながる。

 沖縄弁で<大>は<ウ>であり<シン>は<真>も<信>も<チヌ>であった。

 <秦>と書いても同じである。
 
 ということは<太秦>と書いてあれば、

 沖縄系の人々には直ちに<ウチヌ>即ち<沖縄>のこととわかるものを、

 わざわざ太と点を一つ多く打っている。

 これは気をまわせば想像に傾きすぎるから、<大>では<ダイ>よまれて、

 マレー語本来の<タイシン>の発音と意味が忘れられるために、

 わざと太(タイ)の字を選んだとみておくことにしよう。

 また、太ヶ秦(タケチヌ)とよむためにも、これは太でなければならない。

 かくてまた私たちは<ウチヌ>と<牛>と<シバ神>との集団に京都で出あった。

 では国名はどうか。

 もう<山代>という文字は、

 そのものずばりで<ヤマダイ>と読むことができる。

 これが偶然のソラ似音などと思う方はないはずである。

 また事実、ここで御覧にいれた証拠は実際のもののごく一部分であって、

 <山代>が<邪馬臺>であったことは疑がう余地がない。

 従来の論争型式から行けば、それらをずらりと並べなくても、

 もうこれで邪馬臺国への旅は終るところである。
 しかし、

 私たちのシステムではそんな非学問的なことは許されない。

 なぜなら、まだまだ多くの邪馬臺候補地が残っているからであり、

 さきにもみたように、

 近畿は倭人伝の記載と余りにも違いすぎ、

 また3世紀から7世紀頃までの日本の状態は、

 すべての国や人の大移動のあとを、はっきりと示しているからである。

   言語復原史学会
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

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