2012年1月19日木曜日

スキタイ・スキュタイ(2)



 スキタイ
 スキタイ

 《「釈迦(シャカ)人」が倭人連邦の中枢にいた

 「連邦」を「イチマ」と呼ぶ人々とは、どんな人たちだったのでしょう。

 それは仏教徒・倭人の、精神的中核だった釈迦の出たシャカ族、

 この人々は塞(サク)、スキュタイ、ハン、フン、フィン、カン、キャン、匈奴(きょうど)などと、

 国によっていろいろな名で呼ばれた人々です。

 この人々の言葉[フィン・ウゴル語]の

 [yhtyma=イチマ=連邦、組織、会社、市場]が「伊支馬」だったのです。

 また「市場」は、今も日本語で「イチバ」として使われていますが、

 マをバと発音する訛(なまり)は沖縄語の特徴です。

 邪馬壹国では伊都国に、諸国を管理する官庁として大変恐れられている

 一大率(イテイリ)があると書かれていますが。

 これも[イティ]という発音です。

 それは旅行者の荷物を検査して違反物を探し、

 諸国を検察して謀反人や犯人を捜査するのです。

 日本語の「サガす」は「サガ人のようなことを、スる」という意味から

 生まれた言葉だといえます。

 伊都国の「イツ」もイチの訛であり、その後が「佐賀」と呼ばれているので、

 「佐賀」は「サカ=塞」に対する当て字だという語源もわかります。

 そこへやってきた「塞曹掾史(サクソウエンシ)・張政」の肩書は

 「塞人を相手にする曹=役人」ですから塞語が話せたのです。

 それでなくては倭人のことをあんなに詳しく聞き書きできるはずがありません。

 言葉が通じなくては『魏書倭人章』のような記録は絶対に残らないのです。


 《古代にはスキュタイ人・フン族と同じ「サカ人」が日本にもいた!

 「難波」この地名は古式に頭音使用で読むと「ナハ」である。

 これは沖縄の首都那覇市とぴったり同じだ。

 しかし敵の皇子たちがいる場所は鹿児島なのだから、沖縄ではありえない。

 鹿児島には市の西はずれに谷山という地名がある。

 ここは「タンニャマ」と発音する。

 この発音と「難波」は共通点が多い。

 難の字は「ナン」のほかに「ダン」の発音もある。

 というより本当はダンだった、といったほうがいい。

 難波は古代には「ダニハ」とか「ダヌハ」という発音に対する当て字だったのである。

 日本の古代には国のことを「マ」という人々がいたことは、先にも話した。

 これは中国では「塞(サカ)」。

 ギリシャではスキタイ。

 ヨーロッパでは「フンとかハン」とか呼ばれてる人々の言葉で、

 「国・領土・世界」といった意味に使われる。

 その人たちが沖縄の島々に、タラマ(多良間)、ケラマ(慶良間)という地名を残した。

 『魏書倭人章』にはもっと多くの国名が、この「マ」をもっている。

 投馬・斯馬、邪馬などがそれだし、

 巴利国も後世に「播磨」と書かれているのをみると、やはり「ハリマ」だったのである。

 「ダニハ国」は「ダニハマ」。

 古代には「ハ」は「八(ハチ)」の字の影響で「ヤ」と発音する例が多いから、

 これを濁らずに清音で発音すれば「谷山(タニヤマ)」と当て字することになる。

 この「サカ」の人々がいた地名は、他にもたくさん残っている。

 「佐賀・嵯峨」もそうだし、大阪の語源もそだということが分かった。

 それはだれでも知っている大阪弁の代表的特徴である「……ネン」という語尾は、

 その人々が今も世界のあちこちで毎日使っている言葉だからである。

 その言葉は「フィン・ウゴル語」と呼ぶ言語の仲間で、

 今では日本から最も遠い国になってしまっているフィンランドの言葉も、

 実に多くの日本語との共通語をもっている。

 私(加治木義博)は特にこの系統の言語を永く研究してきて、

 それが日本語のルーツの主要な柱の一つであることをよく知っている。

 『Myブログ』
 ウワイト(倭人)大学講義録
 古代史ブログ講座     
 歴史徒然                
 ウワイト(倭人)ウバイド  
  ネット歴史塾       
 古代史の画像       
  ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言  
 オリエント歴史回廊(遷都)
 終日歴史徒然雑記     
 古代史キーワード検索 
 ひねもす徒然なるままに  

0 件のコメント:

コメントを投稿