ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年1月14日土曜日
塞族(サカゾク)(1)
《塞族(サカゾク)》
《大阪と塞族》
鹿児島方言では「サエギル」という動詞を「セキッ」と発音する。
この方言が「セキッ所=関所」と動詞から名詞を生み出したのである。
その「サエギル」のサエは「塞の神」と書いて「サイの神」と読むサイが、
「サエ」と訛ったたものである。
この字を「サイ」発音するのは「漢音(中国の発音)」である。
「サエギル」という言葉は、古日本語にはなくて、
「塞」という漢字が入ってから生まれた「合成語」だということが分る。
中国には西域の異民族を「塞」と呼んだ文献がある。
この「塞」はもう一つ「ソク」腸閉塞(ちようヘイソクなど)という発音がある。
「塞奴」は「ソクド」と読めるから今の「ソグド人」に一番近い発音になる。
『魏書倭人章』にもこれに関連した官名が出てくる。
魏の帯方郡使として当時の倭国へやってきた「塞曹掾史・張政」である。
「塞曹」とは「塞奴」担当官という名だからソグドが話せた可能性がある。
そういう役人を帯方郡に置いたり、それを倭へ派遣したのをみると、
魏人は倭人を「塞族」として分類していた可能性がある。
塞族はギリシャ人が「スキュタイ」と呼んだ人々であるが、
「スキュ」はギリシャ訛りで「タイ」は人という意味である。
同じ名を印度北部では「シャーキャ」と発音する。
釋迦(シャカ)はこれに対する当て字である。
鹿児島方言は「シャカ」を「サカ」と発音するが、
日本では「塞」の字を古来「サカ」と発音する。
大阪の「サカ」は敵をサエぎるもの「城塞」の意味か、
あるいは「城塞(サカ)を作る連中という意味か。
民族名の「塞」であろうか?。
今、仁徳天皇陵のある「堺」は「サカが居る土地」という意味以外には考えられないから
「民族名」が一番有力に見える。
それだと江上波夫氏の『騎馬民族説』を立証することになる。
どの意味にとっても「オーサカ」の語源は「倭塞」だったのである。
そして鹿児島の「大隈=倭住」からの移住地は
「大隈」「大住」「和泉=倭住」という地名として大阪一体に今なお残っている。
薩摩半島の「出水と川内」というセットになった都市の名が、
大阪では「和泉と河内」というセットになった二大国の名として、
拡大した形で命名されていて、倭国の移動と、その前身が何だったかを、
よく分るように証言している。
『Myブログ』
ウワイト(倭人)大学講義録
古代史ブログ講座
歴史徒然
ウワイト(倭人)ウバイド
ネット歴史塾
古代史の画像
ヨハネの黙示録とノストラダムスの大予言
オリエント歴史回廊(遷都)
終日歴史徒然雑記
古代史キーワード検索
ひねもす徒然なるままに
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿