2012年1月13日金曜日

「光華明彩」(13)



 出典:日本書紀 巻第一 神代上 第五段一

 「光華明彩

 《皇祖の差=『紀』は壹與女王、『記』は履中天皇

 光華明彩の金髪の大日霊の貴を、

 国民の祖神として押し付ける『日本書紀』は、


 明らかに卑弥呼と壹與の系列であり、ギリシャ系の正史である。

 その理由は狭穂姫が生んだ垂仁天皇の皇子を連れて船で隼人町にきた壹與は、

 『正八幡縁起』では大比留女(おおひるめ)と名乗っているし、

 壹與は新羅始祖王の赫居世であり、

 天智天皇は新羅王・金春秋だから

 『日本書紀』は天智天皇が企画者で、

 金髪の壹與を祖神としていることになる。

 それには<卑弥呼>がダブっているが、

 それは<卑爾呼>の<爾>がの音の<ラ行音>で<ヒルコ>とも読めるからで、

 追放された<水蛭子>は<卑弥呼政権>を指しているのであり、

 <ヒルコ>と<ヒルメ>はその同じ王名の名乗りの男女の両形である。

 だから<大ヒルメ>は<倭(おお)のヒルメ>、

 <卑弥呼>か<壹與>を指す名なのである。

 これを否定して、3貴子とは、<イザナミ>と争って別れた<イザナギ>が、

 自分で勝手に生んだ、

 目鼻から生まれたような天皇たちだと主張するのが『古事記』である。

 こちらの方が本当の<天照大御神>で、<伊勢神宮の御神体>でもある。

 それは誰をさしているか?。

 <天の御柱>は帝柱=磤馭盧島であり、<柱>=<ツナ>で<津名>。

 津名は今も淡路島の中央に現存するから、

 それをめぐった淡路島時代の<イザナキ>は<履中天皇>しかいない。

 『古事記』は天照大御神以下の3貴子は彼の子だというのである。

 『日本書紀』と『古事記』の違いは、実にはっきりしている。


 《光華明彩
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