2012年1月7日土曜日

「光華明彩」(7)



 出典:日本書紀 巻第一 神代上 第五段一

 「光華明彩

 《天竺日子と結婚した明(アカル)姫=卑弥呼の記録

 ソナカの関連記事は

 『日本書紀』の天孫降臨と崇神、垂仁、仲哀の3天皇紀にあることを

 大学講義録16の19頁でお話ししたが、

 ヒルコの記事は貴子生みの部分だけで他にはない。

 ソナカは卑弥呼と結婚した当時の記事では

 「天若日子(記)・天稚彦(紀)」と書かれている。

 この正しい発音は南九州語で「テンジャッヒコ、テンヂッビコ」で、

 彼がインドから来た仏教宣布団の首脳だったことを考えると、

 原名は「天竺(てんぢく)日子」だったとする以外にない。

 彼の妻は明(アカル)姫で応神天皇の明の宮(アカルのミヤ)と同一の名乗り、

 これも、たびたびお話ししたように、

 大隅正八幡宮=鹿児島神宮を指す名乗りである。

 明るいのは昼間、昼=ヒルは、南九州語で「ヒー」で結局ヒルメと同じヒーメ=姫だ。

 大日霎の貴(オオヒルメのムチ)は、オオは大淡、倭だと見当がつくから、

 ヒルメはヒルコとペアの名乗り。

 ヒルメのメは女で女性形だから卑弥呼のこと。

 男性形のヒルコは夫のソナカのことだと、すぐ確認できる。

 この大日霎は誕生した時すでに光華明彩で、六合之内に照徹していたので、

 両親は「天に送り、天上之事を授けよう」と天上に挙げた。

 「天照(ゼウ)ス大神」とはゼウスのことだったと、

 大学講義録23の13頁などでご説明したが、

 「天上(ゼウ)」も天照と同じで「天上之事」とはゼウスを祭る巫女の務めのことだから、

 彼女が仏教に帰依したのはソナカとの結婚後なのである。

 《光華明彩
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