2012年1月5日木曜日

「光華明彩」(5)



出典:日本書紀 巻第一 神代上 第五段一

光華明彩

「黄金国」女王の資格は金髪

台湾から九州本土への移動は、ヒミコとソナカが開拓したものだった。

それは天照大神神話の中にも痕跡を残している。

しかしヒミコは仲哀天皇の死という悲劇に遭遇した後、

ソナカ教団を率いて倭(ウワイ)人連邦に君臨した。

その連邦は発展して台湾から高句麗に及ぶ五彩圏を構成した。

彼女はその中心として中央の「キノ国=キン国」 にいた。

魏の帯方郡から、その注文の中国製鋼鏡を、

帯方郡使・梯儁が運んできて彼女と会ったのは、

その「キン国=後の基肄の(キ ン)郡=当時の伊都国」だった。

「キン国」とは、「黄の(キン)国」である前に「金(キン)国」、

すなわち宗祖アショカ王が初代ソナカに命じた目的地

「スパルナ・プーミー(金地=金国)」だったことがわかる。

なぜ、その女王が、「光華明彩=金髪」でなければならなかったかもわかる。

「黄金の国の女王=太陽の化身」は、「光り輝いていることが、至上命令」だったのだ。

彼女の後を継いだ「壹與」が、あいついだ動乱をしずめて女王の座についたのもまた、

やはり彼女も金髪だったからだとみると、なぜ彼女がヒミコの「宗女」として、

反対派を押さえる説得力があったかという理由がわかる。

それは理屈でも、利害でも、政治力でも、ましてや武力でもなかった。

それで治まったことが、それが無上の信仰だったことを示している。

景初三年鏡とともに眠っていた和泉黄金塚古墳の主は女性だった。

それが「黄金塚」と呼ばれてきた理由も「黄金の女王」以外に考えられない。

黄金製の副葬品などなかったからである。

こうしたことのすべてが、五彩圏の中央を占めた「キノ=チヌ」は、

本来「金」だったことを物語っている。

それは「金翅鳥=カロウラ=ガル-ダ」の国が

「鳳来(ほうらい)島=台湾」だったという信仰に結びつき、

「朱雀(すざく)=丹鳳(ぽう)」として「四神」の南になり、

「赤」が南の象徴色になった起源でもある。

この四神と五彩圏の方位思想は、中国南部から沿岸部に広まり、

山東半島で一大宗教として花ひらいた。

それが「方士徐福らに代表される「道教」だった。

しかしそれは老荘思想の後継者を称しているが、

インドの仙人を理想とする「シンドゥ教」の一派である。

それは山東半島から遼東を経由して高句麗にはいり、その国教になっていた。

高句麗王だった位宮は、ヒミコを倒したあと、壹與を立てて女王にしたが、

その宗教の内容はアショカ仏教ではなく、この「シンドゥ=神道」に変ってしまった。

それには「天皇」という神がいる。

のちの日本政権がアショカ仏教の「大王=マハ・ラジヤ」を廃して、

この「天皇」の名を最高位の称号に選んだのも、あのヒミコ政権崩壊のとき、

すでに芽生えていたことだったのである。

それは「天=ティン=チヌ=キン=金」だったことを、記憶しておいてただきたい。

なぜなら、その「天皇」という称号が、「大王」に取って変わったのが、

大化改新」なのだからである。


光華明彩

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