ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年1月1日日曜日
「光 華明彩」(1)
出典:日本書紀 巻第一 神代上 第五段一
「光華明彩」
次生海。次生川。次生山。次生木祖句句廼馳。次生草祖草野姫。亦名野槌。既而伊奘諾尊・伊奘冉尊、共議曰、吾已生大八洲國及山川草木。何不生天下之主者歟。於是、
※1共生日神。號大日孁貴。大日孁貴、此云於保比屢咩能武智。孁音力丁反。
一書云、天照大神。
※2一書云、天照大日孁尊。 此子光華明彩、照徹於六合之内。故二神喜曰、吾息雖多、未有若此靈異之兒。不宜久留此國。自當早送于天、而授以天上之事。是時、天地相去未遠。故以天柱、擧於天上也。次生月神。
一書云、月弓尊、月夜見尊、月讀尊。 其光彩亞日。可以配日而治。故亦送之于天。次生蛭兒。雖已三歳、脚猶不立。故載之於天磐櫲樟船、而順風放棄。次生素戔嗚尊。
一書云、神素戔嗚尊、速素戔嗚尊。 此神、有勇悍以安忍。且常以哭泣爲行。故令國内人民、多以夭折。復使青山變枯。故其父母二神、勅素戔嗚尊、汝甚無道、不可以君臨宇宙。固當遠適之於根國矣、遂逐之。
※1共生日神。號大日孁貴。
※2一書云、天照大日孁尊。 此子光華明彩、照徹於六合之内。
「日の神が生まれた。大日霎の貴(おおひるめのむち)と名づける。
此の子、光華明彩、六合の内に照り徹(とお)れり」
と書かれている。
「この子は美花(華)のように彩られて明るく光り輝き、
六合=村の中のどこにいても、遠くからよく見えた」とある。
これは彼女が、遠くからでも目立つような、
明るく花のような色の髪の毛=金髪をもっていたと読めばリアルで自然だが、
実は卑弥呼が人に会いたがらなかった理由が、もう一つ残っているのである。
それは彼女が、どうして女王に選ばれるような運命をもっていたか、
を考えてみると分かる。
その理由は次のように『記・紀』にはっきり書いてある。
イザナキ・イザナミのミコトは、
彼女を「天」に送る理由を、こういっている。
「この子は、光華明彩、六合(国のこと)の内に照り徹っている。
子供はたくさんいるが、こんな霊異な子は見たことがない。」
両親が、かつて見たことがないと驚いたのはなぜだろう。
これは生まれたときの驚きなのだから、
彼女が数学の天才だから……とか、
超能力をもっている……というのでないことはたしかである。
生まれてすぐ気がつく特徴というのはなんだろう?
それは身体的特徴しかありえない。
彼女は人がびっくりするような特異児だったのである。
「どこがどう特異だったか」
それがどこかに書いてあるはずである。
事実、書くべき位置にちゃんと「光華明彩」と書いてある。
これは過去の学者らのように、
「なんとなく飾りたてた意味のないコトバ」だろうと
ぼんやり見過ごしてはいけないのだ。
「光る花のように、明るく、彩られた、子供」これはどんな意味があるのか、
よーく考えてみよう。
これは着物が美しいというのではない。
からだのどこかが
「光る、花のように、明るく、彩られている」というのだ。
それはどこだろう?
人の顔の中でいちばん目立つのは「目」である。
それが「花のように明るく彩られている」といえば、
それはフツウの黒い目ではない。
花のような色をもった目……考えられるのは「青い目」である。
しかしそれでも「一色」で、
「彩られた=いろどりのいい」顔とはいえない。
ではもう一つの「明るい花のような色」はどこのことだろう?
唇はたしかに赤いが、
これはだれでももっていて大騒ぎするようなものではない。
とすればそれは髪の毛の色しかない。
それは日本列島ではふつう黒か、それに近い濃い茶色と相場が決まっている。
だから「金髪」の子が生まれたら昔のことだ。
びっくりした可能性が高い。
それなら何よりも明るいし、花のような色でもある。
白髪では明るいこととは明るいが「彩り」という言葉に合わない。
オオヒルメのムチは「金髪で青い目の女の子」だったということになる。
「六合の中に照り徹って」の国は沖縄の伊是名島だから、
どこにいても黒い髪の中に光っていて、すぐ分かる。
その表現には少しのうそも誇張もない。
そしてこれが卑弥呼の特徴だったとしたら、
彼女は当時の人の心情として、
人前へ出たくなかっただろうと理解できる。
そして彼女が、魏の帯方郡使を伊都国で止めて、
対面できなくした理由もまた、これだったのである。
「?」と疑問に思われるだろうが、
それは「なぜ、彼女が金髪だったか?」という
人種的な背景を調べてみると、
ひとりでに答えが出てくる。
在来の誇張された解釈では
「大日霎の貴は身体から光りを放って、全世界に照り徹っていた」となり、
仏教徒の住む広大な世界を隈なく照らすという
観世音菩薩の頭上から放射する上記「光明焔」の表現と、
全く同じものになるからである。
この伝承が卑弥呼の形容として伝わり、
それが観世音の名とともに広まる際に、
観音力の象徴として神秘化が進み、
千万億土を照らす光華明彩として説教され、
経典の翻訳もそれを強調、誇張したと客観的にみるのが、
全人類に受け入れられる冷静で妥当な見方である。
卑弥呼の死直後から作られ始めた漢訳経典が、
繹迦が説いた
アヴァ ロキ テスヴァラ を
卑弥呼のマレー語名カシイ菩薩と訳したばかりでなく、
彼女の大日霎の貴伝承まで取り入れて
観音の広大な功徳の形容に用いた。
これが現時点での動かぬ結論である。
[六合]は中国では[六方]のことなのだが、
日本では[国・天下]のことだとされていて、
そう読めば理解できるから、それは正しい。
そして[神武紀]にも「六合の中心か」という言葉が、
やはり[国]の意味で出てくるし、
『古事記』[序文]にも
「乾符(けんぷ)を握って六合をすべ」という文章があるが、
これも日本の国のことである。
古代日本人は国のことを[六合]と呼ぶくせがあり、
それを不思議とも思わずに、ふつうの言葉として常用していたのである。
では[六合]とはなんなのだろうか?
ヒミコ当時の呉には[六合県]という県があった。
それは沖縄から海を隔てた向かい側である。
日本語の[コチラ]は[高津国]を
沖縄~大隅語で[コチラ]と読んだものに一致する。
その国は沖縄にあった国で、
この日本語がそこで生まれたことは間違いない。
この日本語と相対的な言葉[ムコウ]も
同じところで生まれていなければならない。
そこから海をへだてた向かい側とは、[六合県]であるとしたら、
[六=ム][合=コウ・カウ]だから[向こう]と同じ発音である。
この二つの日本語は、間違いなく沖縄生まれであり、
その人々は[六合県]の存在をよく知っていたということになる。
そしてそれは単に知っていたというだけではない。
もっと親しみのある強い知り方である。
なぜなら彼ら以後、
8世紀までの日本人は[六合]を
[国]の代名詞として使っているからである。
《光華明彩》
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