2012年1月1日日曜日

「光 華明彩」(1)



出典:日本書紀 巻第一 神代上 第五段一

光華明彩

次生海。次生川。次生山。次生木祖句句廼馳。次生草祖草野姫。亦名野槌。既而伊奘諾尊・伊奘冉尊、共議曰、吾已生大八洲國及山川草木。何不生天下之主者歟。於是、

※1共生日神。號大日孁貴。大日孁貴、此云於保比屢咩能武智。孁音力丁反。

一書云、天照大神。

※2一書云、天照大日孁尊。 此子光華明彩、照徹於六合之内。故二神喜曰、吾息雖多、未有若此靈異之兒。不宜久留此國。自當早送于天、而授以天上之事。是時、天地相去未遠。故以天柱、擧於天上也。次生月神。

一書云、月弓尊、月夜見尊、月讀尊。 其光彩亞日。可以配日而治。故亦送之于天。次生蛭兒。雖已三歳、脚猶不立。故載之於天磐櫲樟船、而順風放棄。次生素戔嗚尊。

一書云、神素戔嗚尊、速素戔嗚尊。 此神、有勇悍以安忍。且常以哭泣爲行。故令國内人民、多以夭折。復使青山變枯。故其父母二神、勅素戔嗚尊、汝甚無道、不可以君臨宇宙。固當遠適之於根國矣、遂逐之。


※1共生日神。號大日孁貴。

※2一書云、天照大日孁尊。 此子光華明彩、照徹於六合之内。

「日の神が生まれた。大日霎の貴(おおひるめのむち)と名づける。

此の子、光華明彩、六合の内に照り徹(とお)れり」

と書かれている。

「この子は美花(華)のように彩られて明るく光り輝き、

六合=村の中のどこにいても、遠くからよく見えた」とある。

これは彼女が、遠くからでも目立つような、

明るく花のような色の髪の毛=金髪をもっていたと読めばリアルで自然だが、

実は卑弥呼が人に会いたがらなかった理由が、もう一つ残っているのである。

それは彼女が、どうして女王に選ばれるような運命をもっていたか、

を考えてみると分かる。

その理由は次のように『記・紀』にはっきり書いてある。

イザナキ・イザナミのミコトは、

彼女を「天」に送る理由を、こういっている。

「この子は、光華明彩、六合(国のこと)の内に照り徹っている。

子供はたくさんいるが、こんな霊異な子は見たことがない。」

両親が、かつて見たことがないと驚いたのはなぜだろう。

これは生まれたときの驚きなのだから、

彼女が数学の天才だから……とか、

超能力をもっている……というのでないことはたしかである。

生まれてすぐ気がつく特徴というのはなんだろう?

それは身体的特徴しかありえない。

彼女は人がびっくりするような特異児だったのである。

「どこがどう特異だったか」

それがどこかに書いてあるはずである。

事実、書くべき位置にちゃんと「光華明彩」と書いてある。

これは過去の学者らのように、

「なんとなく飾りたてた意味のないコトバ」だろうと

ぼんやり見過ごしてはいけないのだ。

「光る花のように、明るく、彩られた、子供」これはどんな意味があるのか、

よーく考えてみよう。

これは着物が美しいというのではない。

からだのどこかが

「光る、花のように、明るく、彩られている」というのだ。

それはどこだろう?

人の顔の中でいちばん目立つのは「目」である。

それが「花のように明るく彩られている」といえば、

それはフツウの黒い目ではない。

花のような色をもった目……考えられるのは「青い目」である。

しかしそれでも「一色」で、

「彩られた=いろどりのいい」顔とはいえない。

ではもう一つの「明るい花のような色」はどこのことだろう?

唇はたしかに赤いが、

これはだれでももっていて大騒ぎするようなものではない。

とすればそれは髪の毛の色しかない。

それは日本列島ではふつう黒か、それに近い濃い茶色と相場が決まっている。

だから「金髪」の子が生まれたら昔のことだ。

びっくりした可能性が高い。

それなら何よりも明るいし、花のような色でもある。

白髪では明るいこととは明るいが「彩り」という言葉に合わない。

オオヒルメのムチは「金髪で青い目の女の子」だったということになる。

「六合の中に照り徹って」の国は沖縄の伊是名島だから、

どこにいても黒い髪の中に光っていて、すぐ分かる。

その表現には少しのうそも誇張もない。

そしてこれが卑弥呼の特徴だったとしたら、

彼女は当時の人の心情として、

人前へ出たくなかっただろうと理解できる。

そして彼女が、魏の帯方郡使を伊都国で止めて、

対面できなくした理由もまた、これだったのである。

「?」と疑問に思われるだろうが、

それは「なぜ、彼女が金髪だったか?」という

人種的な背景を調べてみると、

ひとりでに答えが出てくる。

在来の誇張された解釈では

「大日霎の貴は身体から光りを放って、全世界に照り徹っていた」となり、

仏教徒の住む広大な世界を隈なく照らすという

観世音菩薩の頭上から放射する上記「光明焔」の表現と、

全く同じものになるからである。

この伝承が卑弥呼の形容として伝わり、

それが観世音の名とともに広まる際に、

観音力の象徴として神秘化が進み、

千万億土を照らす光華明彩として説教され、

経典の翻訳もそれを強調、誇張したと客観的にみるのが、

全人類に受け入れられる冷静で妥当な見方である。

卑弥呼の死直後から作られ始めた漢訳経典が、

繹迦が説いた

アヴァ ロキ テスヴァラ を

卑弥呼のマレー語名カシイ菩薩と訳したばかりでなく、

彼女の大日霎の貴伝承まで取り入れて

観音の広大な功徳の形容に用いた。

これが現時点での動かぬ結論である。

[六合]は中国では[六方]のことなのだが、

日本では[国・天下]のことだとされていて、

そう読めば理解できるから、それは正しい。

そして[神武紀]にも「六合の中心か」という言葉が、

やはり[国]の意味で出てくるし、

『古事記』[序文]にも

「乾符(けんぷ)を握って六合をすべ」という文章があるが、

これも日本の国のことである。

古代日本人は国のことを[六合]と呼ぶくせがあり、

それを不思議とも思わずに、ふつうの言葉として常用していたのである。

では[六合]とはなんなのだろうか?

ヒミコ当時の呉には[六合県]という県があった。

それは沖縄から海を隔てた向かい側である。

日本語の[コチラ]は[高津国]を

沖縄~大隅語で[コチラ]と読んだものに一致する。

その国は沖縄にあった国で、

この日本語がそこで生まれたことは間違いない。

この日本語と相対的な言葉[ムコウ]も

同じところで生まれていなければならない。

そこから海をへだてた向かい側とは、[六合県]であるとしたら、

[六=ム][合=コウ・カウ]だから[向こう]と同じ発音である。

この二つの日本語は、間違いなく沖縄生まれであり、

その人々は[六合県]の存在をよく知っていたということになる。

そしてそれは単に知っていたというだけではない。

もっと親しみのある強い知り方である。

なぜなら彼ら以後、

8世紀までの日本人は[六合]を

[国]の代名詞として使っているからである。


光華明彩

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