2012年1月29日日曜日

スキタイ・スキュタイ(10)



 スキタイ
 スキタイ

 《出発点サカと到着点サタ

 「語源は」

 塞(サカ)の神=猿田彦=岐(フナト)の神

 塞(サヘ)の神=佐太 船渡(フナト)・船人(フナト)

 塞(サイ)の神=佐太 船渡(フナワタ)・船人(フナト)

 サカ     サタ  ワタツミ

 釋迦族    = スキタイ人

 船岐・船木=フェニキヤ人

 塞国=サカナ=魚=海神

 魚(イオ)国=倭国(ウオマ)=イオニヤ人

 倭・塞=オオサカ

 ポセイドンの国大阪

 百済・和泉 国

            サカ   →   サタ   時代     人物

 ① 種子→日向    坂井       佐多岬  247年   壹與

 ② 豊後→伊予    佐賀関      佐田岬  421年以前 仁徳天皇

 ③ 和泉→河内    堺        佐太   469年   興

 ④ 丹波→出雲    嵯峨       佐太   475年以後 佐太(守口)の太守

 「その他」  

 ① 讃岐→吉備    坂出       西大寺

 ② 肥前       佐賀  

 ③ 土佐       佐賀


 《セットになった「サカ~サタ」は何語か?》

 こうして史実の時代が確定でき、事件の内容が完全に把握できると、

 『紀・紀』が書いている仁徳天皇系皇朝の歴史や、

 『三国史記』の疑わしい記事も、批判しながら取捨選択できるようになる。

 その意味で「サカ~サタ」は実に適当な教材を提供する

 偉大な文化財だったことがよくおわかり載けたと思う。

 だがこの講義は学説発表の場ではない。

 着眼点と疑問の解決システムをお教えする講座である。

 あとはご自分で原典から史実をご発掘い戴きたい。

 ではサカ~サタは何語だったのであろう?。

 塞の字は閉塞(へいそく)、城塞(じょうさい)と、

 漢音ではソクとサイと発音するが、

 優婆塞(ウバサカ)でわかるように「サカ」とも読む。

 『日本書紀』では塞の字を使った塞(さい)の神が、

 伊弊諾(イサナキ)尊が黄泉から逃げる場面に出てくるが、

 この神名は猿田彦の別名である。

 しかしサカには釋迦を指す使い方もある。

 卑弥呼が死んだ時、伊都国に滞在していた張政の「塞曹掾史」という肩書きも、

 当時、中国に対する強い外圧の一つだった

 「塞(サカ)族=釋迦(シャカ)族=スキタイ人」を

 相手にする外交官を意味しているから佐賀は釋迦(シャカ)である。

 だがこれだけしか念頭にないと、サカはスキタイ人の居住地だということになり、

 それと向かい合う地点のサタの意味がわからなくなる。

 サカ~サタはセットになっていることで重要なのだから、

 その理由が理解できる語源を、伊都国の佐賀とは別に、

 みつけることが必要なのである。

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