ブログのタイトルは、会社をリタイアし、これからの生涯の趣味として、若いときから日本の歴史(日本書紀・古事記を含む史実の研究)、興味をもっていた。特になぜ「大化の改新(乙巳の変)」なのかの疑問については、我が国の文化の源=メソポタミア文明にまでさかのぼって確かめておく必要があり、オリエント史(ウバイド・シュメル)・ギリシァ史・インダス文明史・シナ(中国)史・朝鮮史の理解を深めることにより、今後の史学の発展、日本の真の歴史、日本文化源流・語源・成立、 地名・神社の由来及び解明、 日本人の感情、表現の相互理解、世界の平和繁栄等に少しでも貢献できればと思っています。私の至福(ひねもす徒然なるままに)は浦和レッズレディース&湘南ベルマーレの応援&歴史徒然のブログUP・ラフレさいたまでの温泉入浴&さいたま新都心コックンへの寄道&昭和歌謡を聞くこと。
2012年1月29日日曜日
スキタイ・スキュタイ(10)
スキタイ
スキタイ
《出発点サカと到着点サタ》
「語源は」
塞(サカ)の神=猿田彦=岐(フナト)の神
塞(サヘ)の神=佐太 船渡(フナト)・船人(フナト)
塞(サイ)の神=佐太 船渡(フナワタ)・船人(フナト)
サカ サタ ワタツミ
釋迦族 = スキタイ人
船岐・船木=フェニキヤ人
塞国=サカナ=魚=海神
魚(イオ)国=倭国(ウオマ)=イオニヤ人
倭・塞=オオサカ
ポセイドンの国大阪
百済・和泉 国
サカ → サタ 時代 人物
① 種子→日向 坂井 佐多岬 247年 壹與
② 豊後→伊予 佐賀関 佐田岬 421年以前 仁徳天皇
③ 和泉→河内 堺 佐太 469年 興
④ 丹波→出雲 嵯峨 佐太 475年以後 佐太(守口)の太守
「その他」
① 讃岐→吉備 坂出 西大寺
② 肥前 佐賀
③ 土佐 佐賀
《セットになった「サカ~サタ」は何語か?》
こうして史実の時代が確定でき、事件の内容が完全に把握できると、
『紀・紀』が書いている仁徳天皇系皇朝の歴史や、
『三国史記』の疑わしい記事も、批判しながら取捨選択できるようになる。
その意味で「サカ~サタ」は実に適当な教材を提供する
偉大な文化財だったことがよくおわかり載けたと思う。
だがこの講義は学説発表の場ではない。
着眼点と疑問の解決システムをお教えする講座である。
あとはご自分で原典から史実をご発掘い戴きたい。
ではサカ~サタは何語だったのであろう?。
塞の字は閉塞(へいそく)、城塞(じょうさい)と、
漢音ではソクとサイと発音するが、
優婆塞(ウバサカ)でわかるように「サカ」とも読む。
『日本書紀』では塞の字を使った塞(さい)の神が、
伊弊諾(イサナキ)尊が黄泉から逃げる場面に出てくるが、
この神名は猿田彦の別名である。
しかしサカには釋迦を指す使い方もある。
卑弥呼が死んだ時、伊都国に滞在していた張政の「塞曹掾史」という肩書きも、
当時、中国に対する強い外圧の一つだった
「塞(サカ)族=釋迦(シャカ)族=スキタイ人」を
相手にする外交官を意味しているから佐賀は釋迦(シャカ)である。
だがこれだけしか念頭にないと、サカはスキタイ人の居住地だということになり、
それと向かい合う地点のサタの意味がわからなくなる。
サカ~サタはセットになっていることで重要なのだから、
その理由が理解できる語源を、伊都国の佐賀とは別に、
みつけることが必要なのである。
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