2015年10月7日水曜日

大山椒魚と曲玉(勾玉)


 ≪大山椒魚と曲玉(勾玉)≫
 
 大国主神である「大黒主神」の祖像は「大山椒魚」である。

 「多久」と訓む「繹魚」は「爾雅」によると「鯢(げい)魚」で

 「山椒魚」を意味する。

 その注に

 「今鯢魚似鮎、四脚、前似[猿(袁→彌)]猴、後似狗、

  聲如小兒啼、大者長八九尺。」とある。

 サンショウウオには二種類ある。
 
 体長大きくても15~20センチメートルのものと

 大山椒魚である。

 「繹魚」の「大者謂之鰕」、「鰕、繹魚」とする。

 「繹」の訓名について

 大漢和辞典は

 「セキ、シャク、エキ、ヤ「とく」とも「睪声」と記す。

 「睪」は「エキ、ヤク、デフ、ネフ」と共に

 「タク、ヂャク(正誤)」と記しており、

 これまで「睪」字を用いてきた理由はここにある。

 つまり「睪」は山椒魚であり、

 その大なるものを「鰕」というが、

 それが「大山椒魚」である。

  小型の山椒魚の種類は
 
 棲息地域によって分散している。

 本州に特徴的な種類は「黒サンショウウオ」である。

 全体的にその背の色は暗褐色(黒)である。

 また、古来「黒焼」ともいわれ、

 干物にされるか焼かれて精力剤

 あるいは子供の病の薬として用いられた。

 イモリとその形がよく似ており

 「イモリの黒焼」といわれたものには

 山椒魚が含まれているに違いない。

 「黒」とは山椒魚であり、

 「大黒」とは「大山椒魚」である。

 大山椒魚は前記の「爾雅」の説明にあるように

 体長が8、9尺という。

 これは中国の尺度であるが、

 日本で確認されているものでは、

 大きなもので160~180センチメートルに成長する。

 彼等は清水がある峡谷にしか棲息しない。

 そして驚くべきことに、

 その寿命は80年~100年を超す場合もあるという。

 古代における人の一生は50年程度だったと推測されている。

 その時代に100年を生きる動物はそれだけで「神」として

 尊崇される意義が十分あったはずである。

  縄文時代から日本の国土の人々は

 大山椒魚あるいは小さいものにしても

 その他の山椒魚を

 信仰の対象として大事にしていたと思われる。

 その証拠が曲玉(勾玉)である。
 
 山椒魚は両棲類のもの清い水のある

 滝つぼなどの石の下で

 水中の穴に左右対になった卵嚢を産むが、

 その形がバナナの房のように曲がっていて

 勾玉と同型である。

 長さは種類によって違うが、

 2~15センチメートル程度である。

 卵嚢には150~300の卵が包まれている。

 まさに「曲がった卵(玉子)」である。

 勾玉は縄文時代の後期晩期の遺跡から出土しているので、

 その信仰がその頃から認識され始めたと考えられる。

 大神神社の禁足地である

 大宮谷や山ノ神祭祀遺跡初め三輪山周辺で

 出土した子持勾玉も

 山椒魚の卵嚢を祖型としたもので、

 墳墓に納められたものは

 再生への願いを込めたものと推測される。

 再生後の長寿を祈ったであろう。

 子持勾玉が特に大神神社に特徴的なのは

 大国主神が「大黒」であり、

 大山椒魚を祖像としているからである。

 特に大神神社の禁足地から集中して出土しており大宮谷も

 大黒谷であっただろうと推考したのはこの状況判断にもよる。

 これを「ダイコク谷」と現在呼んでいる。

 次に述べるように山椒魚は「ハザ」とも呼ばれており

 三輪山をその南東巻くように流れる初瀬川は

 この「ハザ」を祖語としており、

 同山周囲はその信仰を表わす地名が散在する。

  大黒主神である大国主神は縄文時代の後期から
 
 日本国土で神格化され尊崇された。

 現在大国主神は、

 日本の最初に建てられた宮柱で「大黒柱」であったのである。

 (山椒魚、特に大山椒魚は現在その棲息地が狭められている。

  日本の自然環境の保護のため、

  単なる天然記念物としてばかりでなく、

  「国獣」として、自然の中で生きられるように

  自然環境を変えていくべきで、

  日本の環境のシンボルとすべき対象である。)

 ※出典:創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
     執筆時期:1999~2000年
     歴史学講座「創世」小嶋 秋彦

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