2015年10月28日水曜日

古墳と墳墓


 ≪古墳と墳墓≫

 出典:保育社:カラーブックス
    古墳―石と土の造形―森浩一著:98頁

  《埋葬の始まり》

  人が死ぬと屍になる。

  家族や縁に繋(つな)がる者たちが、いかに愛惜の情をいだき、

  亡骸(なきがら)を身近にとどめておきたく思っても、

  腐敗作用という現実のまえにはしょせんかなわぬ願いであろう。

  10世紀に編集された『延喜式』によると、

  政府は主水司という役所に

  氷室(ひむろ)を管理させていたことがわかる。

  氷室は、冬に採取した天然の氷を貯えておく石造の地下室である。

  日本の古代の氷室はいずれも現存しないが、

  新羅(しらぎ)の都の慶州には

  今日も完全な形の氷庫がのこっていて、

  失われた日本の氷室を推定するのに役立っている。

  これほど頑丈な施設をつくってまで貯えた氷は、

  天皇や貴族たちの銷夏(しょうか)の料として

  使われたのであろうか。
  
  『延喜式』のできた時代は、政治機構に弛緩のきざしがみえ、

  当時の記録からそれ以前の状態を復原するのはむずかしい。

  しかしその書物に記してある氷室の所在地をみると、

  平安京の周辺の山城や丹波にもっとも多くあったのは当然として、

  奈良・大阪・滋賀など、かつて都のおかれた付近に必ず存在していた。

  これは何か理由がありそうである。

  私はある時、必要があって8世紀の養老令の注釈書である

  『令義解』を読んでいた。

  その中の「喪葬令(そうそうりょう)」に

  「親王および三位以上、暑月に薨(こう)ずれば氷を給え」の

  規定があるのに気づいた。

  現在でも葬儀までの短い間に屍が腐敗しないように

  ドライ・アイスを用いるが、氷室の氷は、

  単なる冷たい食物ではなく、より切実な用途があったのである。

  古代人が屍を長もちさせるのに氷を使ったとしても、

  腐敗をおくらせるだけで、まして氷を入手できたのは

  皇族と貴族にすぎない。

  屍を何らかの形で処理することは、時代と身分をこえて

  人間には必然的につきまとう行為であった。

  人類が埋葬を始めたのはすでに旧石器時代にさかのぼる。

  埋葬は、屍を海や山野に遺棄するのとは異なり、

  墓穴(壙(こう))を掘って屍を土や石で覆い、

  人間の眼からも、

  また鳥獣が餌としてあさることからも遮断している。

  時代と地域を問わず、

  人類が普遍的に用いる屍の処理方法である。


  出典:保育社:カラーブックス
     古墳―石と土の造形―森浩一著:99頁

  《墳墓-縄文・弥生時代の埋葬法》

  日本では旧石器時代の埋葬例はまだ発見されていないが、

  全国の縄文時代の遺跡から数千体の人骨が発掘されている。

  今日まで遺存している人骨となると、それよりのちの

  弥生・古墳・奈良・平安・鎌倉・室町・安土桃山・江戸などの

  どの時代の人骨の数よりもはるかに多いのである。

  縄文文化の埋葬は、墓穴を掘って、手足を極端に曲げた姿勢で

  屍を埋葬していることが多い。これが屈葬である。

  縄文文化の埋葬の遺構を墳墓とよんでいるが、

  埋葬地の上に盛土をしたり、石を置いたりして

  他の土地と区別をすることはまだなかったようである。

  したがって、墳墓というものの、

  埋葬した後になっても

  そこを特定の死者の墳墓だと

  意識しつづけたかどうかは明らかでない。

  紀元前3世紀ごろに強烈な大陸文化の刺激をうけて、

  まず西日本に水稲栽培の技術とそれに伴う

  新しい生活様式がひろがり始めた。
  
  この文化は、農耕生活が生みだした土器が、

  最初に発見された東京都本郷弥生町の地名にちなんで

  弥生式文化と呼ばれていることはよく知られている。

  弥生式文化では、当時の日本列島の文化内容を平均化して

  説明することが困難で、またそれをあえて行うことが、

  歴史的な認識から遠ざかる危険があるほど各地方で

  相異があらわれている。

  少し例をあげると、銅鐸と、銅剣・銅鉾・銅戈(どうか)の

  二つの分布圏、さらに関東や東北では

  そのどちらの分布圏の青銅製祭器もほとんど存しないことや、

  西日本では前・中期のどの集落遺跡にも数多く普及している

  稲の収穫具としての石包丁が、

  関東地方ではほとんどが使われていないことである。

  このような文化内容での地方差、地域差は墳墓にも

  よくあらわれているがそれは次章で説明しよう。

  弥生式墳墓では、

  屍を墓穴の中に直接埋める場合もあるけれども、

  甕棺(かめかん)、壺棺、木棺、箱形石棺などの棺に収めて、

  それを墓穴に埋めることが多い。

  しかし地上に大きい盛土をした例はなく、
  
  墳墓とよぶのが普通で、原則として古墳といわない。

  このことは、古墳時代よりのち、

  たとえば、栄華をきわめたという

  藤原一門の摂政や関白たちの墓も古墳でなく墳墓である。

  ここで墳墓と古墳の相違点を明らかにしておこう。


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