2015年10月27日火曜日

大和天神山古墳


 ≪大和天神山古墳≫

 出典:保育社:カラーブックス:古墳―石と土の造形―森浩一著
     6・7頁

  写真:大和天神山古墳の木櫃内の銅鏡群 
     奈良県天理市柳本町
  
  天神山は、行燈山(崇神陵)古墳の濠をへだてた南西にある

  全長113メートルの前方後円墳で、

  行燈山(あんどんやま)古墳の陪塚の位置にある。

  昭和35年惜しくも県道工事によって墳丘の一部が

  切取られたので、それを機に発掘をおこなった。

  調査が進むにつれて、後円部からすでに荒らされた

  石室があらわれ、われわれを嘆かせたが、

  この石室は天井石を使用しない

  合掌式の竪穴式石室であったため、

  上部の崩落で底部が幸運にも守られて

  当時の状態がそのままであらわれた。

  巨大な檜を用いた木櫃の内部に、

  41キログラムの水銀朱と銅鏡20面、

  鉄剣4口があり、櫃の外にも銅鏡3面、

  鉄刀3口、その他鎌や鏃などの鉄器類があった。

  この木櫃は、内部が狭く、死者を葬る棺ではなく、

  品物ばかりを埋めていた。

  銅鏡は大部分が中国からの舶載品であるが、

  大量の朱もそれに劣らぬ貴重品であった。


  学術調査で一つの古墳から出土した銅鏡としては、

  天神山の23面がもっとも多い。

  形式別に示すと、


  B 内行花文鏡

  C 画文帯神獣鏡
  
  D 獣形鏡
  
  E 三角縁神獣鏡

  F 画像鏡

  G 獣帯鏡

  H 人物鳥獣文鏡

  このうち、Aは北九州弥生中期末の墳墓に多い鏡で、

  いずれも官の工房、尚方での作である。

  Hは銅鐸の絵画に共通した作品である。

  出典:保育社:カラーブックス:日本人のルーツ:18・19頁
     言語復原史学会・加治木義博

  《測量兼通信機器は鏡だったか》

  銅鏡のまん中にある「つまみ」を「紐(チュウ)」といい、

  ふつうトンネル型の穴があいているが、

  <1>の鉄鏡だけは穴がないばかりか、

  穴に棒を通した形に作ってある。

  紐を囲んで四つのイボ(乳)があるが、

  これを東西南北とみると、

  棒の示す方向は少しずれており、

   北極星の位置と磁針のさす北との差に等しい。

  また子丑寅(ネ・ウシ・トラ)の十二支を書いた鏡や、

   四方八方をさす目じるしがあるものなど、

  鏡は方位を測定し、

   光の反射で直線測量をする測量通信器として役立つものが多い。

  「写真」

  1 鉄製方位鏡(鹿児島県)

  2 青銅製神獣鏡(2世紀=台湾)
    1と同じ図柄であることに注意

  3 花文明光漢鏡(宮崎県)

  4 方格四神鏡(鳥取県)

  5 絵入十二支鏡(清朝=中国)

  6 花文日月明光漢鏡(鳥取県)

  7 三獣鏡(京都府)

  8 赤銅製花文鏡(鹿児島県)


0 件のコメント:

コメントを投稿