2015年10月2日金曜日

積石塚(つみいしづか)


 ≪積石塚(つみいしづか)≫

 出典:保育社:カラーブックス:古墳―石と土の造形―森浩一著
     2頁
  
  日本の古墳は、土で盛上げた墳丘が多いが、

  長崎県対馬、香川県高松市石清尾山(いわせおやま)、

  徳島県の吉野川の南岸地方、

  それに長野県などには石を用いた積石塚がある。

  積石塚は数が少なく、分布も限られているが、

  古墳の発生やそれを残した集団を考えるのに重要な遺跡である。

  日本の古墳文化に大きな影響をあたえた大陸の北方系文化には、

  石塚を築く風習があった。

  『魏志』東夷伝では、

   高句麗の墓を「石を積みて封となす」と記録している。

  実際、高句麗の古都輯安には、

  大小のおびただしい石築墳があり、

   初期の百済の古墳にも石塚が多い。

  日本の代表的な積石塚は、

  栗林公園の背後にある石清尾山の尾根に点々と築かれていて、

  前方後円墳や双方中円墳など前期の積石塚がる。

  前方後円墳の石船塚には、割竹形石棺が露出していて、

  その内部に石枕が造り付けてある。

  大陸に多い死者の頭を固定させる装置である。


  
  ※出典:加治木義博
          「KOFUN・KKロングセラーズ:49・57・202頁」
      「YAMATO・KKロングセラーズ:128頁」


  ギリシャ・ミケーネにある

   欧州青銅期時代後期の紀元前1300年ごろのもの。

  「アトレウスの宝庫」と呼ばれているが、

  今ではクリュテムネストラの墓であることがわかっている。

  高さ13mのドームで床は13.5m。

  日本・朝鮮の古墳墓と共通性が多い。

  「鳥越古墳」

  従来は畿内型と呼ばれる墳丘古墳が南九州につくられるようになったのは、

  5世紀以後だというのが定説だった。

  しかし鹿児島県阿久根市の鳥越古墳は

   石室が細長く古式の割竹式木棺が副葬品なしで

  出土したことから、4世紀より以前のものであることは間違いない。

  これは卑弥呼政権の邪馬臺が南九州だったことが確定した今、

   当然のことで、

  過去の大和邪馬台国説に基づく古墳学が、

   いま崩壊し始めていることを物語っている。

  またその積み石の様式がアトレウス古墳に近いことも、

   よく注意してみる必要がある。

  大石をザット並べただけの蘇我馬子の墓とされる

   石舞台古墳などの方が新しいのである。

  「北鮮古墳群と高句麗・将軍塚
  
  高句麗・将軍塚 中国吉林省集安

  (広開土王碑がある昔の通溝)にある。

  階段状になっていて、

  エジプト・サッカラにある

   第3王朝ジェセル王の階段状ピラミッドによく似ている。


  アトレウス古墳のミニュチアのような形がよくみてとれる。


  亀墓は沖縄にある墓として知られているが、

   同じ形をした墓が、

  タイ北部の人里はなれた場所に点々と見られる。

  中国人華僑たちの墓である。

  沖縄のものも宋の時代に

   中国から来た36姓と呼ばれる支配者がもちこんだもので、

  近世の沖縄は華僑に侵略され占領されていたのである。

  亀墓のルーツはその形態でわかるように

   ギリシャのアトレウス古墳の系統。

  卑弥呼と血縁のある南中国・呉の孫権らが

   ギリシャ系だったことの傍証。

  烏孫=ウースン=呉孫=大隅とつながり、

   ヤタ烏(カラス)=アレクサンドロスともつながる。

  ※参考:

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