2015年10月12日月曜日

出雲族≪曲玉(勾玉)≫


 ≪出雲族≫

  「タカ」は大国主神と不離の用語である。

 第11章 「剣を地名とする地名」で紹介した

 茨城県真壁郡大和町の大国主命を祭る大国玉神社の隣りに

 鎮座する高久神社名及びその地区名「高久」は明らかに

 「大国主神」に係わるものである。

 そしてこの「タク」が多くみられるのが出雲である。

 「出雲風土記」の神門郡に「多伎郡」があり、

 「天の下造らしし大神の御子、

  阿陀加夜努志多伎吉比売坐す。

  故、多吉といふ。

  神亀3年、字を多伎と改むとある。」 

 「天の下造らしし大神」とは、同郡の「八野(やの)郡」に

 「天の下造らしし大神、大穴持命」とあり、

 大穴持命(出雲特有の大国主神の尊名)を表わす。

 既に数回述べたように「阿陀加夜努志」は

 サンスクリット語の ādi-gaya の転写で、

 主(努志)を添えた名称で、「太初種族の主」という意義で

 「多伎吉比売命」は『古事記』にいう

 「天の下という造らしし大神」に合致する。

 「多伎吉比売命」は『古事記』にいう「高比売命」で

 別称を下光(したてる)比売命という。

 「多伎」は「タカ:竹」で大穴持命自身を表わし、

 「吉」は「芸」と同じで、邇邇芸命の「芸(ぐん)」と同様

 サンスクリット語の音写で

 「紐を構成する條(すじ)、糸、網」を意味し、

 「多伎芸」は竹玉と同義で勾玉あるいは臼玉(菅玉)を表わす。

 それは大穴持命の御子の名称である。

 「多伎郷」は現在の簸川郡多伎町に当たる。

 同町多岐に鎮座する多岐神社及び口田儀の多伎芸神社には

 阿陀加夜怒志多伎吉比売命が祀られている。

 多伎とは口田儀の間に挟さまれて小田地区があり、

 小田神社も鎮座するが、「オダ」は「阿陀」と祖語

 ādi (太初の) を同じくする。

 そして小田温泉のある小字名高木は多伎吉の転訛である。

  八束郡東出雲町は出雲國風土記にも載る

 かっての意宇郡の地で「出雲郷」を現在

 「アダカエ郷」と呼んでいるが、

 そこに阿太加夜神社が鎮座していることは既述のとおりで、

 この辺りが出雲の発祥地である。

 同社の西側を意宇川が流れ、

 上流は八雲村で熊野神社が鎮座する。

 意宇が奈良県桜井市辺りにいた

 『古事記』にいう生尾人と

 関係があるだろうということを述べたが、

 大物主神を考察した際に述べた ahi-dvis(蛇王、龍王)を

 思い出していただければ、

 双方の濃密な関係を知ることができる。

 熊野神社の西方に「蛇山」があることからすると、

 意宇川の流れる峡谷は蛇の里である。

 つまり意宇は ahi の転訛である。

 須佐之男命の八俣の遠呂智(おろち・大蛇)退治の物語は、

 彼の勢力がこの地方へ入って来た時に

 蛇族(意宇)を征圧したことを物語っているのである。

 その蛇族とはすでに述べたように富(とび)氏族であろう。

 富氏の伝承によると「勾玉」のことを

 「財(たから)」といって尊重してきた。
 
 財は竹玉(たけたま)であり、

 大神神社でいう竹玉が

 太初においては勾玉であったことを示唆している。

  前に富氏は出雲井神社を奉祭しており、

 その祭神を大国主と述べたが、

 その正式な神名は「久那斗神」である。

 同神は簸川町富村の富神社においても祀られるている。

 久那斗神を敢えて大国主神と述べたのは

 次のような事情に依る。

 同神は「岐、来名戸」とも表記されるが、

 これはサンスクリット語の khanati(te) の音写である。

 その語義は「掘る、穿つ、貫く」で、

  khanitr は「掘る者」となる。

 「掘る」のは「穴を掘る、穿つ」の意味であり、

 当然大穴持命に通じ、大国主神を表わす。

 つまるところの久那斗神は大国主神となる。

 出雲郷内に竹花、

 また意宇川を越えた松江市竹矢町があるように

 ここが「タカ」の里であったことが理解できる。

  出雲風土記から「タカ(多久)」のつく神社を拾ってみる。

 ○嶋根郡 多気社(松江市上宇部尾町多気神社)

 ○楯縫郡 多久社(平田市多久町多久神社)

 ○神門郡 多吉社(簸川郡多伎町多岐多岐神社)
 
 ○神門郡 多支枳社(簸川郡多伎町口田儀多伎芸神社)

 ○神門郡 多吉社(簸川郡多伎町多岐多岐神社境内大穴持神社)

 ○神門郡 多支社(簸川郡多伎町小田尾若権現社に比定)

 ○神門郡 多支支社(簸川郡多伎町口田儀多伎芸神社境内、

           旧社地奥田儀の田尻谷という)

 ○飯石郡 多加社(飯石郡吉田村杉戸大歳神社に比定)

 その他、出雲郡に多義村が載る。

 これは現大原郡加茂町大竹に比定されており、

 その近く斐川町の学頭に大黒山がある。

 阿陀加夜 ādi-gaya が

 出雲の太初の種族であることを紹介したのであるが、

 この名称が三輪山周辺にも遺っていることを説明しておきたい。

 阿陀が「小田」と転訛して多岐町にあるが、

 この ādi が桜井市芝地区の小字「織田」となっている。

 また芝のすぐ東三輪山との間が茅原(ちはら)であるが、

 これはまた「カヤハラ」と訓め「カヤ」は gaya の音写で、

 合わすと「阿陀加夜」と同音となる。

 また芝の北の箸中の向うには太田地区があり、

 これも ādi の転訛である。

 同地には天照御魂神社が鎮座するが ādi は「太初の」の他に

 「太陽」を語義としており、その祖語に相応しい。

 同社は延喜式神名帳の大和国城上郡に載る

 「他田坐天照御魂神社大」に比定されている。

 これらの名前も阿陀加夜怒志である

 大神神社の大国主神に係わるが、

 その奉祭氏族、礒城氏族を含む登美族を

 称したものと考えられる。

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