2015年9月1日火曜日

スサの王の国・スサ


 ≪スサの王の国・スサ  ≫

 紀元前4000年紀の末頃になると、

 それまでメソポタミヤで進行していた都市国家化は、

 大河を越えてイラン南西部のフジスタンにも波及して、

 そこに住んでいたエラム人たちが、

 スサなどの都市国家を建てて行ったのである。

 こうした史実は、スサから1000km程の位置にある

 イラン高原南東部のヤヒヤ(テペ)出土の粘土坂に、

 原始エラム文字で書かれたものが出土して解った。

 では、わが国にやってきたのは、

 スサの王だけだったのか?、

 他にもやって来た人たちが居たのか?、

 以上の説明に出てきた地名・国名から、

 どれだけのことが判るか、

 その検討から始めよう。

  『私達とスメル周辺古代名詞群の関連』

  語源       日本語化     日本語名    要点
   
A メソポタミヤ  メスボツミヤ   雌母津宮  母系女帝国 

B メソポ     ミズホ      瑞穂     沖縄発音化
      
C タミヤ     タミヤ  田宮=民+ia民国(ヤ) ギリシャ語

D タミヤ     デンク   デンク⇒テング   天狗 漢音

 メソポタミヤ  ミズホタミヤ   瑞穂田宮   瑞穂田の国

E スサ     ソセ + ン 祖先       本土発音化

F スサの王   スサノオ   杉挿之王     屋久杉の王

G エラム    エラブ    永良部諸島    大隅発音化

H フジスタン      フジサン   富士山          

I   スタン   スァン  サン     山    

J          フネザン   富子山  船山 海路標識山

K ボセイドン   ホセイヅン  百済出水・出雲 大隅発音化

            フジイズン       海神の王


 こうした立証をすると、

 「しかし、それは、そう見れば見えるというだけで、

  駄洒落の一種じゃないか。

  そんなものは何の証拠にもならない」

 と冷笑する入が出てくる。

 それは当然のことで、それが「なぜ、動かぬ証拠なのか」を、

 理解してもらわなければならない。

 この古代名詞群の場合は、

 それらの古語が私たちの日本語とどう絵び付く言語かを、

 常識として知っている必要がある。

 それは在来の言語学が

 「日本語はウラル~アルタイ語の一種だ」と

 教えてきたことを常識だと錯覚していたのでは、

 とても理解はできない。

 もうすでに

 『日本語には複数の言語が混在しているという』、

 本学の常識が基礎になければ、

 幾ら努力して発見を重ねてみても、

 冷笑する敵を作るだけである。

 しかし私たちが、

 これまで「方言差」として扱ってきたものこそ、

 実はその移住者が持ち続けてきた、

 『母語の発音差』だったのである。

  これが理解できれば、

 在来のウラル語系だという説は、 

 根本から間違っていたと理解され、

 はっきり改められる。

 そして

 「日本語は、先住民のウラル~アルタイ語に、

  複数の地域からきた複数の母語及び日用の単語が

  加わった合成言語である」と定義される。

 それを、ごく単純明快に説明、立証してご覧に入れよう。

 これまで主題だった

 スサノオの故地・スサはフジスタン地方にあって、

 アケメネス王朝の 永田町=中央政庁の所在地.

 真の首都といえる新市だったが、

 国王は冬は暖かいバビロンにある冬宮に居り、

 夏はエクバタナ(元メディア王国の首都)の

 夏宮に居るという状態で、

 王の宮殿がある所が首都だとすれば、

 五つの首都があったことになる。

 もう一つの首都は王朝の開祖・キュロス2世が建設し、

 代々の王たちが即位式をした都で、

 天皇家の京都にあたる儀式用都市・パサルダガエ(パルサ)。

 そこから45kmの位置に、

 さらに建設されたのが

 ペルシャの国名のもとになった

 最大の都市・ペルセポリスで、

 ここは外国からの客を迎えるための

 外交、交易用に、いろいろな工夫が凝らされている。

 たとえば都市の玄関に当たるのは西から東へ昇る階段で、

 朝日に向かって登らされる仕掛けになっている。

 すでに我が国の「日の国思想」と無関係ではないことがわかる。

 昇りきると大広間があり、

 正面に石造牡牛座が2頭、

 左右対照に置かれている。

 神社の狛犬と同じ発想だ。

 壁面には古代ペルシャ、アッカド、エラム3語で、

 「余、クシャヤールシヤン王は
 
  アウラマツダ大神のご命令に従い、

   この万国殿を建造した」という碑文が彫ってある。

 またこの宮殿の基礎の石面には

 朝貢にやってきた国々の使節と献上物が延々と彫られている。

 ペルセポリスはギリシャ名でパルサカルタが本名である。

 ここは現在はフアールスと発音が変化しているが、

 これは古代のスサが、

 今ではスーサと引き伸ばした名に訛っているのと同じで、

 パルサ(=ファルス)が首都を意味し、

 カルタが街を意味していたのである。

  これを、次のように比較対照すると、

 相互関係が明瞭になってよく判る。

パルサ カルタ ペルシャ語 アケメネス王朝時代語 漢・韓 カン

ファルス  ペルシャ語  中世語    漢・韓 ハン

 ペルセ ポ リス  ギリシャ語

 パ リ  パーリ語(サカ語⇒インド語)=移動の証人。巴利国。

 これを、

 こうして変化した部分だけ対照すると、

 さらに相互関係が明瞭によく判る。

 パ サ a カ k ペルシャ語  日本語発音  漢・韓 カン

        ファf~・h   韓国語・中国語発音  漢・韓 ハン

           ペ セ e       ギリシャ語

     ポ      ギリシャ語  日(ホ)・穂・豊の国

     パ      パーリ 語  巴利国=隼(ハイ)人 

 ※出典:加治木義博
     「言語復原史学会・大学院講義録37:3~7頁」

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