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≪スサの王の国・スサ ≫
紀元前4000年紀の末頃になると、
それまでメソポタミヤで進行していた都市国家化は、
大河を越えてイラン南西部のフジスタンにも波及して、
大河を越えてイラン南西部のフジスタンにも波及して、
そこに住んでいたエラム人たちが、
スサなどの都市国家を建てて行ったのである。
こうした史実は、スサから1000km程の位置にある
イラン高原南東部のヤヒヤ(テペ)出土の粘土坂に、
原始エラム文字で書かれたものが出土して解った。
では、わが国にやってきたのは、
スサの王だけだったのか?、
他にもやって来た人たちが居たのか?、
以上の説明に出てきた地名・国名から、
どれだけのことが判るか、
その検討から始めよう。
『私達とスメル周辺古代名詞群の関連』
語源 日本語化 日本語名 要点
A メソポタミヤ メスボツミヤ 雌母津宮 母系女帝国
A メソポタミヤ メスボツミヤ 雌母津宮 母系女帝国
B メソポ ミズホ 瑞穂 沖縄発音化
C タミヤ タミヤ 田宮=民+ia民国(ヤ) ギリシャ語
C タミヤ タミヤ 田宮=民+ia民国(ヤ) ギリシャ語
D タミヤ デンク デンク⇒テング 天狗 漢音
メソポタミヤ ミズホタミヤ 瑞穂田宮 瑞穂田の国
E スサ ソセ + ン 祖先 本土発音化
F スサの王 スサノオ 杉挿之王 屋久杉の王
G エラム エラブ 永良部諸島 大隅発音化
H フジスタン フジサン 富士山
I スタン スァン サン 山
J フネザン 富子山 船山 海路標識山
K ボセイドン ホセイヅン 百済出水・出雲 大隅発音化
フジイズン 海神の王
こうした立証をすると、
「しかし、それは、そう見れば見えるというだけで、
駄洒落の一種じゃないか。
そんなものは何の証拠にもならない」
と冷笑する入が出てくる。
それは当然のことで、それが「なぜ、動かぬ証拠なのか」を、
理解してもらわなければならない。
この古代名詞群の場合は、
それらの古語が私たちの日本語とどう絵び付く言語かを、
常識として知っている必要がある。
常識として知っている必要がある。
それは在来の言語学が
「日本語はウラル~アルタイ語の一種だ」と
教えてきたことを常識だと錯覚していたのでは、
とても理解はできない。
もうすでに
『日本語には複数の言語が混在しているという』、
本学の常識が基礎になければ、
本学の常識が基礎になければ、
幾ら努力して発見を重ねてみても、
冷笑する敵を作るだけである。
しかし私たちが、
これまで「方言差」として扱ってきたものこそ、
実はその移住者が持ち続けてきた、
実はその移住者が持ち続けてきた、
『母語の発音差』だったのである。
これが理解できれば、
在来のウラル語系だという説は、
根本から間違っていたと理解され、
根本から間違っていたと理解され、
はっきり改められる。
そして
「日本語は、先住民のウラル~アルタイ語に、
複数の地域からきた複数の母語及び日用の単語が
複数の地域からきた複数の母語及び日用の単語が
加わった合成言語である」と定義される。
それを、ごく単純明快に説明、立証してご覧に入れよう。
これまで主題だった
スサノオの故地・スサはフジスタン地方にあって、
アケメネス王朝の 永田町=中央政庁の所在地.
真の首都といえる新市だったが、
国王は冬は暖かいバビロンにある冬宮に居り、
夏はエクバタナ(元メディア王国の首都)の
夏宮に居るという状態で、
王の宮殿がある所が首都だとすれば、
五つの首都があったことになる。
もう一つの首都は王朝の開祖・キュロス2世が建設し、
代々の王たちが即位式をした都で、
天皇家の京都にあたる儀式用都市・パサルダガエ(パルサ)。
そこから45kmの位置に、
さらに建設されたのが
ペルシャの国名のもとになった
最大の都市・ペルセポリスで、
ここは外国からの客を迎えるための
外交、交易用に、いろいろな工夫が凝らされている。
たとえば都市の玄関に当たるのは西から東へ昇る階段で、
朝日に向かって登らされる仕掛けになっている。
すでに我が国の「日の国思想」と無関係ではないことがわかる。
昇りきると大広間があり、
正面に石造牡牛座が2頭、
左右対照に置かれている。
神社の狛犬と同じ発想だ。
壁面には古代ペルシャ、アッカド、エラム3語で、
「余、クシャヤールシヤン王は
アウラマツダ大神のご命令に従い、
アウラマツダ大神のご命令に従い、
この万国殿を建造した」という碑文が彫ってある。
またこの宮殿の基礎の石面には
朝貢にやってきた国々の使節と献上物が延々と彫られている。
ペルセポリスはギリシャ名でパルサカルタが本名である。
ここは現在はフアールスと発音が変化しているが、
これは古代のスサが、
今ではスーサと引き伸ばした名に訛っているのと同じで、
パルサ(=ファルス)が首都を意味し、
カルタが街を意味していたのである。
これを、次のように比較対照すると、
相互関係が明瞭になってよく判る。
パルサ カルタ ペルシャ語 アケメネス王朝時代語 漢・韓 カン
ファルス ペルシャ語 中世語 漢・韓 ハン
ペルセ ポ リス ギリシャ語
パ リ パーリ語(サカ語⇒インド語)=移動の証人。巴利国。
これを、
こうして変化した部分だけ対照すると、
さらに相互関係が明瞭によく判る。
パ サ a カ k ペルシャ語 日本語発音 漢・韓 カン
ファf~・h 韓国語・中国語発音 漢・韓 ハン
ペ セ e ギリシャ語
ポ ギリシャ語 日(ホ)・穂・豊の国
パ パーリ 語 巴利国=隼(ハイ)人
※出典:加治木義博
「言語復原史学会・大学院講義録37:3~7頁」
「言語復原史学会・大学院講義録37:3~7頁」
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