2015年8月31日月曜日

鬼子母神(きしもじん):カリー女神


 ≪人類が生存できる限界の激しい気象環境も宗教の内容を左右する。≫

 同じ仏教でもラマ教の悪魔や怪物の仮面舞踏は、

 そうした環境が悪魔や悪神の暴力によるもので、

 それらから身を守り子孫を繁栄させるには、

 仏の教えに従って身を慎み善を行って、

 善神が悪神を退治る戦いに参加し助力せよと教える。

 また農業が成立しない環境では、

 畜産によって乳を飲み、

 殺して肉を食べ、

 皮を着る以外に生存の道がない。

 争わず殺さずという釋迦の教えは、

 とうていそのままでは守れない。

 殺生が容認される幅が、

 私たちからみれば遥かに拡大される必要があったのである。

 北方へ進んだ布教団の教義は、

 卑弥呼の名の実意「慈悲や愛」といった

 甘っちょろい観念論ではありえない。

 中国に西域から入った仏教は、

 生首を提げた女性像が

 訶梨帝(カリティ)菩薩として壁画に描かれるような、

 卑弥呼仏教とは正反対のものだったのである。

 この鬼菩薩を鬼子母神(きしもじん)と訳して

 日本に紹介したのは日蓮で13世紀末である。

 日本で過去に信じられて来た6世紀の仏教伝来は、

 この北方仏教(北伝仏教)であって、

 東南アジア経由の南方仏教(南伝仏教)だった

 ソナカ=卑弥呼の仏教とは別物である。

 日本語の[クロ]も正確にはインド語の一つだし、

 韓という当て字の当時の発音[カラ]も、

 シンドゥの女神で

 日本で鬼子母神と呼ぶ[カーリー]も、

 みな[黒]のインド語の方言なのである。

 「カリー女神像」は北インドのものである。

 シバ大神の妻であったカリーは、

 仏教にとりいれられて訶梨帝菩薩と変化し

 新らしい縁起を与えられた。

 日蓮はこれを鬼子母神と訳したが、

 一方ではインド亜大陸の南海地方で

 慈母聖母としての愛の女神「カシー」となり、

 観世音の文字があてられた。

 奈良朝の厚い崇敬にもかかわらず

 香椎廟が当時の重要な祭政施行令であった

 延喜式の神名から除外されているのは、

 神功皇后を観世音すなわち仏と見ていたことの一証である。

  ※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学講義録20:21頁」
           「JINMU・KKロングセラーズ:161頁」
           「言語復原史学会・邪馬臺国の言葉:193頁」

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