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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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≪鉄器文化の実在≫
神武天皇庚申年のところに
「事代主神が<三島溝蹶(みぞくい)耳神>の娘・<玉櫛媛>と
結婚して生んだ娘・<媛蹈鞴五十鈴媛命>を
神武天皇が正妃に迎えた」とある。
『古事記』は
<勢夜陀多良比売>・<富登多多良伊須須岐比売>・
<比売多多良伊須気余理比売>と
蹈鞴がタタラであることを証言している。
当時最高の文化であった<タタラ>は
今の先端工業に当たるもので、
それを名乗りにもつお姫様は
大変な高貴な存在だったのである。
私たちは神武天皇のモデルが複数で、
垂仁天皇の事跡が混じっているのを知っている。
垂仁は卑弥呼政権を倒して倭人の新支配者になり、
壹與を女王に大隅に邪馬壹国をたてて首都にした実在者だ。
当時の文化は『魏書倭人章』に詳しく記録されている。
それで確かめてみると、
<3世紀の倭人の武器>は、
*「竹箭 或いは鉄鏃或いは骨鏃」と書いてあるから、
竹製の矢に鉄の鏃・やじり=矢尻や骨の鏃をつけて使い、
石鏃は使っていない。
また卑弥呼が受けとった帝の贈物に
<五尺刀が2口(ふり)>ある。
五尺もあると、柔らかい銅では曲がって使い物にならない。
五尺刀が鉄製なのは常識だ。
また薩摩半島の南端・<山川町の成川遺跡からは
当時の五尺刀が数も同じ2口出土>している。
鹿児島県下からは他にも弥生・古墳時代の鉄製品の出土が多く、
その中には世界でただ1個しか見つかっていない
「方位を示す紐(ちう)のある鉄製三角縁神獣鏡」があり、
私(加治木義博)が所蔵している。
神武天皇の正妃・媛蹈鞴五十鈴媛は
垂仁天皇の皇后でなければならない。
垂仁天皇の始めの皇后は、
あの<悲劇の狭穂姫>で、
<誉津別皇子>を残して死んだから、
その後で皇妃になった丹波の道主の5人の娘の一人である。
すでによくご承知の通り、
狭穂姫の<狭>は<アイヌ語のタンネ>で<種子島>である。
<穂>は豊玉の<豊>で、
やはり<種子島の古名の1つ>だし、
丹波の道主のタニバは
<種子国=タネマの沖縄発音・タニバ>である。
種子島は戦後、
アメリカへ宇宙機用のチタン原料として、
大量の砂鉄を輸出し続けたように、
世界でも最高級の品質をもつ砂鉄の希に見るこ大産地であり、
古代種子島の坂井人が大阪府の堺を造って、
戦国時代に種子島銃の独占産地になった史実が
物語るように、
古代から近世に至る
我が国鉄器産業の最大の中心地を
形成して行ったのである。
種子島がタタラ技術の先進地であり、
タタラが国富と文明を象徴する
トップ産業だったことを見逃してはならない。
するとそれを名にもつ「タタラ姫」は、
夜も輝くような美と富の姫という
赫夜姫の名が同じ島で生まれたのと同じで、
必然的であるし、
またその富と武力が、
天皇家とその一族の「橘=種子島人(タチバナ)」政権を
東征させ、
倭人圏を本州・四国に拡大させたのであり、
「古代淡路島(タンジシマ)=種子島(タンジシマ)」
を拠点に一気に奈良に大和朝廷を
定着させたのであることが、
はっきり組織立って、
立体的に理解できるのである。
※出典:加治木義博
「言語復原史学会・大学院講義録30:26~27頁」
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