2012年2月4日土曜日

ヒッタイト語



ヒッタイト語

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19世紀の始めから小アジアへ旅行した人たちが、

次々に発見した奇妙な象形文字がある。

しかしそれをヒッタイト文字だと確認したのは、

チェコのフロズエーで、第一次欧州大戦後のことだった。

彼は固有名詞を確認することから始めて、

<魚>と<父>という表意文字を発見し、

続いて食事を意味するシュメル語の「ニンダ」が含まれている一節を見つけた。

それは

「ヌ ニンダ・アン エッツアテニ ワダル・マ エクテニ」

と読めたが、何を意味するのかは、まるで判らなかった。

だが、主食は食物だから、食べるという語があるはずだと気づいて、

小アジアがインドとヨーロッパの中間にあるのだから、

印欧語の一種である可能性が高いと考えつき、

印欧語類の<食べる>という語と比較してみた。

すると

ドイツ語の<エッセン>、

ラテン語の<エドー>、

英語の<イーツ>と、

この一節中の<エッツアテニ>が合う。

そこでさらに食べ物に付き物の<水>はないかと見てみると、

英語の<ウォーター>や

ドイツ語の<ヴァッサー>そっくりの<ワダル>がある。

これだけで「主食(パン)を食べ、水を飲む」という大意はつかめたので、

あとはどれが「飲む」なのか?見つければいい。

すると、

それらしい位置にある<エクテニ>が、ラテン語の水「アクァ」に合う、

<エク>が<アクァ>で、<テニ>を

動詞とみれば、「飲む」になる。

ここまでうまく一致が見られるのだから、印欧語であることは疑う余地がない。

それならもっと多くの印欧語と比較することで、他の単語も一つずつ解明できる。

小躍りして喜んだフロズニーは、残る単語を一気に解いて

「今や汝はパンを食べ、水を飲まん」と訳した。

しかし私の講義は、これで目出度くお終いではない。

それは彼フロズニーが説明に使った英語やドイツ語以上に、

ヒッタイト語と近縁の、証拠として絶対不可欠な言語を、

彼が全然知らず、提出できなかったからである。

それは私たちが毎日使っている日本語なのだ。

<ヌ>が<汝>なら、日本語は相手を「ヌシ」とか「ナ」と呼ぶ。

「ナンジ=汝」とは、この<ナ>と<ヌシ>の合成語であることまですぐ判る。

主食パンは古代日本には麦がないから存在しないが、

「アン」は「あの」という指示代名詞だとすると南九州語では今も「アン」という。

「ェッツア」は、そのままで、今も南九州で使われている「餌=エッツア」である。

餌は人類の食べ物でなく鳥獣の食べ物を意味するが、

本来は「食べ物」であって、

差別は後世の事情によるもの。言語が殖えて、

蔑視されていた鳥獣の食物を意味する語に転落したとみると納得がいく。

だからこの語には「主食・パン」という限定された意味はない。

南九州語の「アン・エッツァ=あの餌」のほうが、

私たちには「より解り易い合理的な訳語」になる。

「ワダル」は「ワタル」と発音すると「渡る」で。

水上を移動する行為を意味する動詞である。

その語根は「ワタ」で、それは我が古語では「ワタ・ワダ=海」である。

しかしワタルは海に限らない。

川でも池でも、水溜まりでも対岸へワタルと使う。

だからワタルというのは「水を越える」の略語で、

「水(ワタ)を越える=ワタる」であり、

「ワタ=水」だ。

語源であるヒッタイト語の、本来の意味と発音とを、共に正しく伝えているのが判る。

だから「ヌ  ニンダ・アン エッツア テニ  ワダル・マ  エク テニ」 は、

「汝  飲んだ あの 餌=食物 手に  渡る  間  水を 手に」 で、

『君は 航海するあいだ あの 食べ物と 真水を手に持って 飲食をする

=航海中無事で飲食も充分だ!』という、『神託』を特記したものだったのである。

フロズニーの訳

「今や汝はパンを食べ、水を飲まん」

というのでは何の意味もなく、そんなものが麗々しく刻み残されているのは何故か?

という疑問が湧くが、日本語で読めば、神のお告げとして、

後世に伝える価値のある内容になる。こうした神託は単なる単語の羅列ではない。

必然的な内容があってこそ記録に値いするのである。

ヒッタイト語の<ニンダ>を、主食を意味するシュメル語の<ニンダ>だと、

慌(あわ)てて発表した研究者の焦りが失敗を生んだ教訓がここにある。

この例が戒めるように、私たち研究者は功を焦って結論を急いではいけない。

ことに古語の読解は、その使用法によって、様々に変化する事実を、

現代の詩などによって深く認識し、誤訳しないように慎重に扱う必要がある。

例えば皮肉を込めてバカ丁寧に書かれたものなどは、

上面だけ見たのでは、丁重な賛辞に見えて、真意とは逆に受けとれるからである。

この例に挙げたフロズニー博士の解読は、

よりヒッタイト語に近い日本語の存在を知らず、

距離が近いというだけの言語だけで、

すぐシュメール語と直結して、

それで充分と錯覚してしまった「落とし穴」に落ちた例である。

私はその言語が、よく知り早くした自国語だったという幸運に恵まれて、

彼の誤りを即座に看破できたに過ぎないが、この逆も当然起こる。

研究者は、この例を教訓にして、常に自重する深い自覚が必要である。

ではヒッタイト人は、我が列島に他にも遺物を残しているのだろうか?。

簡単に挙げると、日田、飛騨といった地名とともに、

製鉄というヒッタイト人独特の特異な古代文化を、我が国にもたらしている。

出雲地方は、その古代製鉄の我が国における最大の先進国であって、

スサノオの尊が八俣大蛇を退治て、

『天(アメ)の叢雲(むらくも)の剣』を手に入れたという伝承は、

古代オリエントとの間の、

うっかり見過ごせない重大な文化記録の積層を形成している。

これはヒッタイト文字の拓本だが、

そこへ入れると主題から脱線する恐れがあったのでここへもってきた。

よく見ると同じ形が見つかる。

それらを縦にセットしたり、別の字に置き換えたり、

子音と母音の関係のように前後に組み合わされた文字もある。

またフロズニー氏の見つけた単語・<魚>と<父>がどれかも、

次第に見当がついてくる。

するとこの字は漢字に近いことがわかる。

意味と発音を分担する偏と芳(つくり)の原型があることが、

楔形文字と根本的にちがう。

殷で発達した中国文字はこのヒッタイト象形文字の子孫だ。

さらにこの発見以上に重要な発見は、<殷>と<稲敷>の語源が、これから確認できたことである。

それはバビロンの巨大遺跡にあるイシュクル門で有名な女神イシュクルを

シュメールでは「イナンナ」と呼ぶ。

稲敷・稲・伊那・伊南・委奴国・猪名川・伊根・殷の語源はこの<イナンナ>で、

「稲の女(イナンナ)」だったのである。

彼女は何故?<稲の国>の女王なのか?。

<ニップル>(<日本>の語源)で出土したシュメル語の粘土版文書では、

彼女の夫の穀物神・<タンムズ>は秋には刈り取られて死ぬ。

それを生き返らせるために<イナンナ>は黄泉へくだって行く。

性的には<イサナキ>と逆だが、ギリシャのオルペウスよりも、

<殷>の誕生よりもはるかに古い時代に、黄泉下りの話が実在していたのである。

彼女は地獄の門番たちに身ぐるみ剥がれて汚水を食物に、地下を住居にすることになる。

これが「稲女(イナンナ)」の生理であることはすぐ判る。

すると<イザナミ>が地下で腐る意味も、

<イナンナ>の夫の<タンムズ>が「種子(タン)もつ(ムズ)神」だとも理解できる。

在来は仮説だったものが、こうして定説になるのである。

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