2012年2月8日水曜日

万葉仮名(3)



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 《変化した『記・紀』万葉音

 しかしこれで、すぐ『記・紀』の人名と、比較できると思うのは早トチリである。

 なぜなら、これで出た答は3世紀当時の中国の発音であって、

 8世紀か、それ以後に書かれた『記・紀』の発音は、これとは随分ちがったものだからだ。

 さきに見た弥馬升をミマツと読んだり、ミマジョウと涜んだりしている事実は、

 もうすでに3世紀の発音が分らなかったことを、はっきり示しているのである。

 『記・紀』の人名、官名のもとになった記録を、『記・紀』の筆者は自己流の読み方をして、

 いい加減に当て字していたことが、はっきり見て取れる。

 そうしたものがどれ位い違っているか、次ぎの一覧表でよくみていただきたい。

(言語学で使う専門的な表音記号は、多くの読者にはわかりにくいので、カナ書きを採用した。)

    カールグレン氏の上古音と『記・紀』万葉時代音の比較

   カ氏  記・紀     カ氏   記・紀

 伊 セル  イ     都 ト    ト・ツ

 烏 オ   ウ・ヲ   奴 ノ    ド・ヌ・ノ

 呼 ゴ   ヲ     那 ナル   ナ

 越 ギワッ ヲ     卑 ピェグ  ピ

 支 チェグ キ     弥 ミャル  ビ・ミ

 耆 ギャル キ     馬 マ    マ・メ・バ

 古 コ   コ     模 マグ   ム・モ

 渠 ギョ  コ・ホ   謨 マ    ム・モ・ボ

 斯 シェグ シ     母 マ    モ・ボ

 爾 ニャル ジ     柄 ピヤング ヒ

 多 タ   タ     与 ジョ   ヨ・ヲ

 智 チェグ チ     利 リャ   ト・リ

 市 ヂヤ  チ


 《原名と変型の証明


 『魏書倭人章』と『記・紀』との官名・人名を比較するためには、

 本来、

 中国の古音で書かれていた名前を、『記・紀』編者らが

 (1) どう変型させてしまったか?。

 (2) なぜ変型させてしまったか?。徹底的に研究する事が最重要課題である。

    だが変型してしまったものを、

 (3) どうして元の名前が変型したものだと、判定することができるか?それが先ず

    大きな問題である。それには

 (4) 「原型と変型との間に共通する」ものを見つけ出すことが必要である。

 原型はカールグレンの古音が教えてくれる。

 卑弥呼は ピェグ ミャ ゴ   伊支馬は ヤル チェ グマ  であるから、

 原型のままではとても『記・紀』のなかには見つかりそうにもないが、

 『記・紀』万葉が書かれた8世紀前後の日本で、

 盛んに使われていた<万葉ガナ>で読んでみると、

 伊支馬=イキマ=活目。 弥馬升=ミマツ=観松。 弥馬獲支=ミマカキ=御間城。

 といった調子にうまく合うことは、先にすでにみたとおりである。

 このことから分かったことは、『記・紀』の編者たちは、

 天皇たちの名を耳で聞き伝えて知っていたのではなかった、という重大な事実である。

 彼等はそれらの名を『魏書倭人章』と同じ当て字の「文字」で知った。

 だからそれを当時の知識で、万葉ガナで読んでしまったとすれば、

 これで4つの謎はすべて答が出たことになる。

 (1) 万葉ガナ読みに発音を変型させて、それに合う別の文字を当て字した。

 (2) 万葉ガナ読みしたために、変型させてしまった。

 (3) 原名を万葉読みしたものと同じ読み方ができるから、同じ原名から蛮型したものだ、

    と判定できるので

 (4) 「共通するもの」は、万葉ガナ式発音だ、ということになる。


 《人名の万葉ガナ読み

 『魏書倭人章』の主な官名・人名を万葉ガナ読みすると、

 大体つぎのようになる。

 (万葉ガナにない文字は、他の同系の文字によって発音を推定し、
 
 また先にみた升がス、ツという半音だけでなく、

 ジョウという複音としても使われていることや、

 中国音の使用も考えにいれて、『記・紀』の官名・人名と比較しやすくしてある。)

 卑弥呼(ピメヲ・ピメゴ) 伊支馬(イキマ) 弥馬升(ミマス・ミマツ・ミマジョウ)

 弥馬獲支(ミマカキ・メマクワシ) 奴佳鞮(ヌハダイ・ヌカティ)  

 都市牛利(トチギウリ・ツチゴリ) 伊声耆(イサキ・イセヌキ) 掖邪狗(ヤザク)

 壹與(イチヨ・イヨ) 狗右制卑狗(クウチアィピク) 爾支(ジキ)

 難升米(ナンジョウメ・ナヌシェンベ) 弥弥(メメ・ミミ・ビビ) 卑狗(ピク)

 弥弥那利(メメナリ・ミミナリ・ビビナリ) 卑奴母離(ピノモリ・ピヌモリ・ピドモリ)

 (この読みと合う『記・紀』の中の名前を、次ぎに挙げてみる。) 

 イキマ(活目) ミマツ(観松・御真津) ミマジョウ(御間城) ミマカキ(御間城) 

 メマクワシ(眼々妙・目目微) ヌハダイ(沼羽田入) トチギウリ(豊城入)

 トチニウリ(十市瓊入) イサキ(五十狭芹彦) ヤザク(八尺入) ピク(彦・日子)

 ビビ(大日日) ミミ(耳) メメ(目目) ヒヌモリ(夷守) 

 (母音の発音差は方言差=次の章で詳しく説明する。)


 《名詞漢字発音リスト


    『魏志倭人章』名詞漢字発音リスト:日本の『記・紀』万葉時代の古音

 「当時の使用例が不明のものは近似した文字を『 』内に挙げそれもないのは、

  参考音(ひらがな)だけを挙げて置く」

 伊 イ                     呼 ヲ            

  倭 ワ・『委(イ)』          古 コ        

  惟  (い)             已  イ・ヨ          

  為 イ・シ            拘 (句(ク))            

  一  イ・イチ・(ひ)            好  (こう)        

 壹  イ・イチ               載 (さい)        

  烏  ウ・ヲ(からす)          市 チ・(いち)          

  越  ヲ・(こし・しろ)         支 キ        

  佳 (か)             斯 シ        

  華 (くわ)・『渦(ワ)・和(ワ)』    升 (す・つ・しょう)      

  獲 ワ・(くわく)             臣 オミ(しん・じん)        

  鬼 マ・(き)               兕 (じ)          

  耆 キ                  邪 ザ        

  牛 (ぎゅう・ご)            衰 (すい)      

  弓 (きゅう)              声 (せい)      

  躬 (きゅう)              制 セ        

  渠 コ・ホ・(きょ)            泄 (せつ)・『世(セ)・(よ)』        

  郡 ク・(ぐに・こほり)         蘇 ソ

  狗 (句(ク))                 素 ス・ソ・(しろ)

  觚 (くわ)                姐 (ソ)・(ちぇ)

 多 タ              不 フ

 対  (たい・つい)         柄 (ひ・へい)

 大  タ・ダ・(だい)             米 メ・(べい・まい)

 臺 (だい・と)          母 モ・(ぼ)

 智 チ                  謨 ム・モ・(ぼ)

 持 (ぢ)             末 マ・(まつ)

 鞮 『提(テ・ディ・(でい))』      弥 ビ・ミ・メ・(や)

 都 ツ・ト                模 ム・(も)

 投 (とう)                掖 (えき)『夜(ヤ)・(よ)』

 奴 ド・ヌ・ノ          耶 サ・ヤ           

 那 ナ                  邑 オ・(ゆう)     

 難 ナ・(なん)              与 ヨ・ヲ

 爾 ジ・『尓(ニ)』            離 (り)

 巴 ハ                   利 ト・リ

 馬 マ・メ・(ば)             率 (りつ・そつ)

 卑 ヒ              盧 ル・ロ

 百 ホ・モモ・(ひゃく・はく)


 《官名・人名発音比較リスト

 『魏志倭人章』官名・人名発音比較リスト:Bernhard Karlgren氏上古音

     日本の『記・紀』万葉時代の古音:『記・紀』の該当者名

  (原名)      (B・K氏上古音)     (日本の8世紀音) (『記・紀』の該当者)

 卑狗     ピェグク       ピク       日子・比古・彦

 卑奴母離   ピェグノマグリァ   ヒナモリ     夷守

 爾支     ニャチェグ      ニチ       根子(日子(ニチグァ))

  泄謨觚      ヂャッマグクォ    ヂマコ      島子

 柄渠觚   ピャンギョクォ    ピポコ      天の日矛

 兕馬觚   ヂェマクォ      ジマカ      田道間守(タ・ジマカン)

 多模        タマグ        タマグ(之)    玉櫛比古(姓氏録)

 弥弥    ミャミャ       メメ       遠津年魚眼眼妙媛

 弥弥那利  ミャミャナリア    ミミダリ     耳垂(耳成山)

 伊支馬      ヤチェグマ      イキマ      活目入彦五十狭茅

 弥馬升   ミャマシェング    ビバス      日葉酢姫

 弥馬獲支    ミャマグァッチェグ  メマクワシ    遠津年魚眼眼妙媛

 奴佳鞮   ノケグディェグ    ヌハダイー    沼羽田入比売

 狗右智卑狗 クウチェグピェグク  コウチヒコ    武殖安彦

 大倭        ダッワル       オホヤマト    大日本

 卑弥呼   ピェグミャゴ     ピメゴ      倭迹迹日百襲姫(姫御)

 難升米      ナンシェングミャ   ヌンシェンビーチ 武渟川別 

 都市牛利  トヂャギュウグリャ  トチギイリ    豊城入彦

 伊声耆   ヤシェンギャ     イサンキ     五十狭芹彦     

 掖邪狗      ヂャクヂオク     ヤジャク     八尺入彦

 卑弥弓呼素  ピェグミャキュンゴソ ピメキウーンゴソ (姫木王の御祖)

 載斯烏越  ツァグシェグオギワツ タアシオジロワク 大足彦忍代別

 壹与     イェッヂョ      イチジョオー   倭姫命(市女王) 


 《沖縄方言型の官名・人名

 『魏志倭人章』の官名・人名を、

 『記・紀』のそれと比較すると、

 よく似てはいるが、どうもどこか、しっくり行かない点が多いことに、お気付きになったと思う。

 彦・日子はヒコという発音が正しいのに、ヒクになっているし、

 田裳はタモなのに、タムになっている。

 これをアルファベットで書いてみると、

 hiko=hiku

 tamo=tamu  

 と、語尾の母音Oが、そろってUになっているのがわかる。

 こうした母音の違いは、方言による違いなのである。

 沖縄方言では標準語のOをUと発音する。

 このヒク・タムという発音の仕方は、沖縄方言と全く同じである。

 御刀姫(ミバカシ姫)=眼眼妙媛で、眼に当たる発音はミである。

 沖縄方言では眼、目などメの音をミと発音する。

 これもまた沖縄方言と同じだ。

 さらに目立つのはナとヌの逆転である。

 渟名はヌナなのに『魏志倭人章』の方はナヌになっている。

 イサナキもイサヌキになっている。

 沖縄方言では汝(ナンジ=あなた、君)をヌージという。

 ナとヌの逆転が明瞭にみられる。

 伊支馬も万葉ガナではイキマになるが、漢字の上古音ではイチマに近い。

 沖縄方言ではキをチと発音する。君はチミ、菊はチクである。

 沖縄方言は母音がAIUの三つしかない。

 標準語はAIUEOの五母音ある。

 沖縄方言は三母音語に属し、すぐ見分けることが出来るのである。

 こうしてみて行くと、

 『魏志倭人伝』の官名・人名の特徴は、沖縄方言型のものが実に多いことがわかる。

 帯方郡使が当て字で記録して置いてくれた名前は、

 倭国の人々の内に沖縄方言を話す人たちがいたことを、はっきりと証言しているのである。


 《官名・人名・対照リスト

     『魏書東夷傳倭人章』官名・人名・対照リスト:万葉ガナによる『記・紀』発音

 卑(ピ)狗(ク)                    日子・比古・彦

 卑(ピ)奴(ナ)母(モ)離(リ)               夷守

 爾(ニ)支(チ)                    根子(ネシの沖縄発音ニチ)

 泄(シ)謨(モ)觚(コ) 柄(ビ)津(ツ)渠(ホ)觚(コ)     下吉備津日子(コ=木)

 柄(ヒ)渠(ホ)觚(コ)                 天・日矛(ホ=日)

 兕(ジ)馬(マ)觚(カン)                田・道間守(カミ)

 多(タ)模(モ)                      田裳・見宿弥

 弥(メ)弥(メ)                    遠津年魚・目目・微比売

 弥(ミ)弥(ミ)那(ダ)利(リ)              耳垂

 伊(イ)支(キ)馬(マ)                   活目・入彦五十狭茅

 弥(ミ)馬(マ)升(ツ・ジョウ)             御真津比売・御間城姫

 弥(メ)馬(マ)獲(クワ)支(シ)               遠津年魚・目目微・比売

 奴(ヌ)佳(ハ)鞮(ダイー)               沼羽田入・日売

 狗(コ)右(ウ)智(チ)卑(ピ)狗(コ)           武殖(高津)安彦

 大(オホ)倭(ヤマト)                    大日本根子彦・天皇

 卑(ピ)弥(メ)呼(ヲ)                 姫王

 難(ヌナ)升(セン)米(ベ・津)               武渟川別 

 都(ト)市(チ)牛(ニウ)利(リん)            十千根大連

 伊(イ)声(セ)耆(チ・キ)               伊勢津。五十狭芹     

 掖(ヤ)邪(ジャ)狗(ク)                   八尺・入彦

 卑(ピ)弥(メ)弓(キウン)呼(ヲ)素(ソ)         姫 木王の御祖

 載(タイ)斯(シ)烏(オ)越(シロ)            大足・忍代・別

 壹(イチ)与(ヨ)                    倭姫(イチ)命・世(ヨ)記

 これは『記・紀』編者が

 『魏書東夷傳倭人章』を読んだ8世紀ごろの発音と、それに対する解釈。

 その結果、新たに当て字された名前を対比したものである。


 《官名・人名発音比較リスト

    『魏書東夷傳倭人章』官名・人名発音比較リスト:Bernhard Karlgren 氏中古音

        日本の『記・紀』万葉時代の古音:『記・紀』の該当者名

  (原名)      (B・K氏中古音)      (日本の8世紀音) (『記・紀』の該当者)

 卑狗     ピーコー        ピコ       日子・比古・彦

 卑奴母離   ビーノモーリー     ピナモリ     夷守

 爾支     ジーチ         ジチ       直(ジキ)・日子(ジツ)木(チ)

 泄謨觚      ヤィモークォ      ヤリボコ     (槍矛=八千矛)

 柄渠觚   ピューコクォ      ピホコ      天の日矛

 兕馬觚   ヂマクォ        ジマカ(ン)    田道間守

 多模        タモー         タモ       田裳見宿弥(見=耳)

 弥弥    ミェミェ        メメ       遠津年魚眼眼妙媛

 弥弥那利  ミェミェナリー     ミミダリ     耳垂

 伊支馬      イチーマ        イキマ      活目入彦五十狭茅

 弥馬升   ミェマシャング     ビバス      日葉酢姫

 弥馬獲支    ミェマクァッチー    メマクワシ    遠津年魚眼眼妙媛

 奴佳鞮   ヌカディー       ヌハダイー    沼羽田入比売

 狗右智卑狗 コウチーピーコー    コウチヒコ    武殖安彦

 大倭        ダイワ         オホヤマト    大日本

 卑弥呼   ピーミェクォ      ピーメヲ     倭迹迹日百襲姫(姫王)

 難升米      ナンシャングミー    ヌンシェンビーチ 武渟川別 

 都市牛利  トヂギャーンリー    トチギイリ    豊城入彦

 伊声耆   イシャンギー      イッサンキン   五十狭芹彦     

 掖邪狗      ヤヂャカウ       ヤジャク     八坂王(八尺入彦)

 卑弥弓呼素  ピーミェキウンクォソ  ピメキウーンカソ (姫木王の父)

 載斯烏越  ツァイシゥオジューブツ タアシオジロベツ 大足彦忍代別

 壹与     イェチゥオー      イチヲー     倭姫命(市王) 


 《『日本書紀』を誤読した『古事記』

 こんなふうにして見つけ出したシステムを 使って、

 『魏書倭人章』に記録された官名・人名に該当する人々を、

 『記・紀』の中から拾い出すことになるが、その前に、

 一口に『記・紀』といわれてきた『日本書紀・古事記』だが、

 (1) 『日本書紀』と『古事記』の当て字が違うこと。

 (2) それが重大な意味をもつこと。

 の二点をあらかじめ知っておいていただきたい。

 実例で説明すると、

 これまで<伊支馬>に対応する名として挙げてきた、

 垂仁天皇の名「活目」は、『日本書紀』が使っている文字であって、

 『古事記』では「伊久米」と当て字してある。

 従来これをイクメと読ませてきたが、それでは伊支馬とは結びつかない。

 これは『古事記』の筆者が、『魏書倭人章』原文にある<伊支馬>から、

 伊久米の名を直接引出したのではなく、「活目」という『日本書紀』の当て字を、

 イクメと読みそこなって万葉ガナ風に、当て字したものという答しか出ない。

 文字が「活目が先で伊久米が後だ」と立証しているのである。

 伊支馬→イチマ→イキマ→活目→イクメ→伊久米の順に変型してしまった

 『古事記』のものは、

 こうした経過の解明が済まない限り、原名と直接、照合することは不可能である。

 また弥馬升に合う御間城も、『古事記』は<御真木>と当て字しているが、

 これではどんなにしても、弥馬升とは合わない。

 これも活目と同じく、弥馬升をミマジョウと読んで、御間城と当て字したした

 『日本書紀』の文字を、城にはキの読みがあることから、

 『古事記』編者はさらにミマキと読み損なって、

 誤りを重ねて御真木と当て字した形になっている。

 このように間違いが生みだした架空の名前を、

 3世紀に実在した官名・人名と照合しようとしても、それは始めから無理である。

 いくら努力しても不可能なことはわかりきっている。

 以上ご覧に入れたように、暇があれば『古事記』の変型の経過まで

 明らかにすればいいようなものだが、それは別の問題なので、

 ここでは紙数と時間の浪費を避けることにする。


 《弥馬獲支の謎とき

 次の官名の弥馬獲支はメマクワシと読んだものに、

 崇神天皇妃の遠津年魚眼眼妙媛(紀)があり、ミバカシと読んだものに

 景行天皇妃の美波迦斯比売(記)、御刀媛(紀)がある。

 眼>古語でマの発音もあるから、眼々と書いてメマと読ませる。

 『記・紀・万葉』時代に流行った洒落た言葉遊びの一つである。

 また沖縄方言なら眼をミと発音するから、ミマとなり一層、弥馬によく合う。

 妙または微(記)はクワシと読む。

 また刀の古い名はハカシ・ハカセで、御(ミ)がついて濁音のバになるのである。

 この崇神天皇(10代)と景行天皇(12代)とに挟まれた垂仁天皇(11代)の時には、

 候補者はいないのであろうか。

 よく注意してみると、垂仁天皇妃にも一寸わかり難いが該当者がある。

 分り難いのは一人の名でなく、何人もに分裂してしまっているからである。

 「垂仁天皇記」では     円野、阿邪美、歌凝 という三人の妃としているが、

 崇神妃を並べるとこうなる。 遠津 年魚眼 々 妙

 この謎ときをしてみると、円と遠はどちらもエン。

 野と津はどちらも助詞のノにあたるノとツ。

 阿邪美と年魚眼はアヤミとアユミ。

 歌凝はカキで獲支と同音。

 妙も獲支に対する当て字で、全部一致する。

 ただ『古事記』のほうはこのままでは「美?歌凝」で、

 「弥馬獲支」の<馬>にあたるものが不足している。

 これは『古事記』では、もう一人弟媛という妹がいるから、

 妹という字をその位置に入れると、美妹歌凝となりミマカキと読める。

 これは『古事記』編集者が、妹の字も一人の人間と勘違いして独立させ、

 当時の正式な書き方に直して、<弟媛>と書いたと考えると、

 この間違いが起こった理由がよく理解できる。

 遠津年魚眼々妙媛と円野阿邪美妹歌凝比売とは、もともと同じ官名だったのである。

 ついでにいうと、この円野を『日本書紀』は円をマドカと

 読み誤って真砥野と当て字している。

 これからは正しい復元は不可能で、ここでは『古事記』の方がやや正しい。


 《戴斯烏越は景行天皇

 魏の正始八年(247)、狗奴国男王と不和なった卑弥呼は、

 第三次の死者として戴斯烏越を帯方郡に送り、互いに相攻撃し合う状況を訴えた。

 卑弥呼の死の直前で卑弥呼朝最後の使者である。

 戴斯の上古音はツァイシで現代の発音ではタイシにあたる。

 (一対のツイは対立のタイである。)その任務の重要性からみて、

 彼が卑弥呼朝の高貴な人物であったことは間違いないが、このタイシと

 一体何を意味する言葉であろうか。

 使者の長であるから大使でありそうだが、当時の倭人は、

 大使に相当する肩書きを「大夫」と読んだと中国の正史に明記してあり、

 『魏書倭人章』にも使われているから、これは大使ではありえない。

 とすれば高貴な地位をあらわすタイシは「太子」以外にない。

 当時すでにこうした中国式の呼び名があったことに、疑問を飽く方もあると思うが、

 卑弥呼白身「親魏倭王」に任命されており、お礼の上表文(手紙)を送っている。

 また『後漢書』には紀元前から倭人の国々が使節を送って来る。

 とあり、また「大夫」という肩書きも中国文化輸入である。

 都市牛利のように次使と読める名もあった。

 といったことを考え併せると、「太子」という肩書きをつけて行ったとしても、

 それほど不思議ではない。

 これを太子とみると垂仁天皇の皇太子は後の景行天皇で、

 大足彦忍代別という名が記録されている。

 この名をよく観察してみると、大足彦も「タアシひこ」でツァイシに近い。

 残る忍代と烏越を比べてみると、どちらもオシロと読めるのである。

 忍代別は『古事記』では於斯呂和気(オシロわけ)と万葉ガナ書きして読ませるし、

 烏はオ、越瓜はシロウリと読むのであるから、

 この点では『記・紀』の編集者が一致して烏越はオシロと読んで、

 それに合う当て字を行っている。

 そして『記・紀』には景行天皇以外に、

 この戴斯烏越に合う名はない。



 
 

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