2015年9月2日水曜日

枚聞(ひらきき)神社


 ≪枚聞(ひらきき)神社 ≫

 天智天皇の出身地が朝鮮半島でなく、

 鹿児島だったという証拠は、

 九州本土最南端の美しい山「開聞岳」と、

 その付近一帯の地域に特に濃厚に残っている。

 この山はカイモンダケと発音されているが、

 その北の山麓にある

 「枚聞(ヒラキキ)神社」と比較すると、

 「開聞」は「ヒラギキ」と読まねばならない。

 「開聞」はふた通りに読めるが、

 枚聞はどんなにしても「カイモン」とは読めないからである。

 この神社は

 927年(延喜五)に完成した儀式制度の『延喜式』に、

 「薩摩国二座。穎娃(えい)郡一座。枚聞神社」

 と記録されている、 

 いまは薩摩半島南半に一社だけある非常に古い神社である。

 主祭神は「枚聞の神」で、天照大神だとか、

 海神(わだつみ)とかいろんな説があるが正体は不明だった。

 しかしその祭礼には「本当の祭神」が姿を現わす。

 男神に扮した人は、

 白足袋を片一方だけはいていて「天智天皇」。

 女神は天皇の妻

 「木花開耶姫(コノハナサクヤひめ)」である。

 この姫は『記・紀』ではニニギのミコトの夫人だし、

 天智天皇は滋賀の大津朝廷の天皇だから、

 何もかも無茶苦茶だと過去の学者は嘲笑し、

 祭神は正体不明だとされていたのである。

 しかし私たちには、

 その「開」の字のヒラキやハラキの謎が解けるにつれて、

 その意味が正確に理解できるようになった。

 それこそ真実を伝えていたのである。

 もう一字の、

 語尾の「キ」は「イサナキの命」や「ニニキの命」の名の語尾にもある

 「男性敬称語尾」である。

  金春秋を「春秋智」と書いた語尾の

 「チ」もこの「キ」の沖縄語の発音で、

  開聞=ハラギキ=春秋キ=春秋智だったのだ。

  またヒラギキは

 「日羅国(ギ)男王」であり

 「春秋智」である天智天皇と完全に重なる。

  今後はもう、

 「なぜ、新羅王で大津朝廷の天皇になった

  天智天皇を祭る神社が、

  そんな鹿児島県の片田舎に?…」

 などと疑問に思う人はあるまい。

 天智天皇を祭る神社は『延喜式』にもなく、

 現代も近江神宮は官幣社にも国幣社にも入れない。

 天皇家ははっきり区別をつけている。

 しかし彼の故郷・鹿児島県の枚聞神社は彼を祭り、

 祭礼には彼が木(コ)の花開(サク)耶(ヤ)姫と登場する。

 しかし『延喜式』は

 薩摩国の枚聞神社を小社のうちに加え、

 明治4年に国幣小社に加えたが、

 神社自身も、

 公式には祭神は天照大神か海神か不明の神だとして、

 天智天皇を削っている。

 枚聞(ひらきき)神社

 ※出典:加治木義博「TAIKA・KKロングセラーズ:171・172頁」
          「言語復原史学会・大学院講義録:18頁」

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