2015年9月9日水曜日

和人が造った三角縁神獣鏡(6)


 ≪和人が造った三角縁神獣鏡(6) ≫

 「黄金国」女王の資格は金髪

 台湾から九州本土への移動は、

 ヒミコとソナカが開拓したものだった。

 それは天照大神神話の中にも痕跡を残している。

 しかしヒミコは仲哀天皇の死という悲劇に遭遇した後、

 ソナカ教団を率いて倭(ウワイ)人連邦に君臨した。

 その連邦は発展して台湾から高句麗に及ぶ五彩圏を構成した。

 彼女はその中心として中央の「キノ国=キン国」にいた。

 魏の帯方郡から、

 その注文の中国製鋼鏡を、

 帯方郡使・梯儁が運んできて彼女と会ったのは、

 その「キン国=後の基肄の(キ ン)郡=当時の伊都国」だった。

 こうみてくると、

 「キン国」とは、

 「黄の(キン)国」である前に「金(キン)国」、

  すなわち宗祖アショカ王が初代ソナカに命じた目的地

  「スパルナ・プーミー(金地=金国)」だったことがわかる。

  そしてなぜ、

 その女王が、

 「光華明彩=金髪」でなければならなかったかもわかる。

  黄金の国の女王=太陽の化身は、

 「光り輝いていることが、至上命令」だったのだ。

 彼女の後を継いだ「壹與」が、

 あいついだ動乱をしずめて女王の座についたのもまた、

 やはり彼女も金髪だったからだとみると、

 なぜ彼女がヒミコの「宗女」として、

 反対派を押さえる説得力があったかという理由がわかる。

 それは理屈でも、利害でも、政治力でも、

 ましてや武力でもなかった。

 それで治まったことが、

 それが無上の信仰だったことを示している。

 景初三年鏡とともに眠っていた

 和泉黄金塚古墳の主は女性だった。

 それが「黄金塚」と呼ばれてきた理由も

 「黄金の女王」以外に考えられない。

 黄金製の副葬品などなかったからである。

 こうしたことのすべてが、五彩圏の中央を占めた

 「キノ=チヌ」は、

 本来「金」だったことを物語っている。

 そしてそれは

 「金翅鳥=カロウラ=ガル-ダ」の国が

 「鳳来(ほうらい)島=台湾」だったという信仰に結びつき、

 それが

 「朱雀(すざく)=丹鳳(ぽう)」として

 「四神」の南になり、

 「赤」が南の象徴色になった起源でもある。

 この四神と五彩圏の方位思想は、

 中国南部から沿岸部に広まり、

 山東半島で一大宗教として花ひらいた。

 それが方士の徐福らに代表される「道教」だった。

 しかしそれは老荘思想の後継者を称しているが、

 インドの仙人を理想とする

 「シンドゥ教」の一派である。

 それは山東半島から遼東を経由して高句麗にはいり、

 その国教になっていた。

 高句麗王だった位宮は、

 ヒミコを倒したあと、壹輿を立てて女王にしたが、

 その宗教の内容はアショカ仏教ではなく、

 この「シンドゥ=神道」に変わつてしまった。

 それには「天皇」という神がいる。

 のちの日本政権が

 アショカ仏教の「大王=マハ・ラジヤ」を廃して、

 この「天皇」の名を最高位の称号に選んだのも、

 あのヒミコ政権崩壊のとき、

 すでに芽生えていたことだったのである。

 それは「天=ティン=チヌ=キン=金」だったことを、

 記憶しておいてただきたい。

 なぜなら、

 その「天皇」という称号が、

 「大王」に取って変わったのが、

 「大化改新(乙巳の変)」なのだからである。

  その主役がそれとどんな「かかわり」があるか?

  今から考えてみて、

 次巻の正解が出るまで、

 この一大歴史クイズを楽しんでいただきたい。

  ※出典:加治木義博
     「WAJIN・KKロングセラーズ:224~226頁」

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