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≪和人が造った三角縁神獣鏡(6) ≫
「黄金国」女王の資格は金髪
台湾から九州本土への移動は、
ヒミコとソナカが開拓したものだった。
それは天照大神神話の中にも痕跡を残している。
しかしヒミコは仲哀天皇の死という悲劇に遭遇した後、
ソナカ教団を率いて倭(ウワイ)人連邦に君臨した。
その連邦は発展して台湾から高句麗に及ぶ五彩圏を構成した。
彼女はその中心として中央の「キノ国=キン国」にいた。
魏の帯方郡から、
その注文の中国製鋼鏡を、
帯方郡使・梯儁が運んできて彼女と会ったのは、
その「キン国=後の基肄の(キ ン)郡=当時の伊都国」だった。
こうみてくると、
「キン国」とは、
「黄の(キン)国」である前に「金(キン)国」、
すなわち宗祖アショカ王が初代ソナカに命じた目的地
「スパルナ・プーミー(金地=金国)」だったことがわかる。
そしてなぜ、
その女王が、
「光華明彩=金髪」でなければならなかったかもわかる。
黄金の国の女王=太陽の化身は、
「光り輝いていることが、至上命令」だったのだ。
彼女の後を継いだ「壹與」が、
あいついだ動乱をしずめて女王の座についたのもまた、
やはり彼女も金髪だったからだとみると、
なぜ彼女がヒミコの「宗女」として、
反対派を押さえる説得力があったかという理由がわかる。
それは理屈でも、利害でも、政治力でも、
ましてや武力でもなかった。
それで治まったことが、
それが無上の信仰だったことを示している。
景初三年鏡とともに眠っていた
和泉黄金塚古墳の主は女性だった。
それが「黄金塚」と呼ばれてきた理由も
「黄金の女王」以外に考えられない。
黄金製の副葬品などなかったからである。
こうしたことのすべてが、五彩圏の中央を占めた
「キノ=チヌ」は、
本来「金」だったことを物語っている。
そしてそれは
「金翅鳥=カロウラ=ガル-ダ」の国が
「鳳来(ほうらい)島=台湾」だったという信仰に結びつき、
それが
「朱雀(すざく)=丹鳳(ぽう)」として
「四神」の南になり、
「赤」が南の象徴色になった起源でもある。
この四神と五彩圏の方位思想は、
中国南部から沿岸部に広まり、
山東半島で一大宗教として花ひらいた。
それが方士の徐福らに代表される「道教」だった。
しかしそれは老荘思想の後継者を称しているが、
インドの仙人を理想とする
「シンドゥ教」の一派である。
それは山東半島から遼東を経由して高句麗にはいり、
その国教になっていた。
高句麗王だった位宮は、
ヒミコを倒したあと、壹輿を立てて女王にしたが、
その宗教の内容はアショカ仏教ではなく、
この「シンドゥ=神道」に変わつてしまった。
それには「天皇」という神がいる。
のちの日本政権が
アショカ仏教の「大王=マハ・ラジヤ」を廃して、
この「天皇」の名を最高位の称号に選んだのも、
あのヒミコ政権崩壊のとき、
すでに芽生えていたことだったのである。
それは「天=ティン=チヌ=キン=金」だったことを、
記憶しておいてただきたい。
なぜなら、
その「天皇」という称号が、
「大王」に取って変わったのが、
「大化改新(乙巳の変)」なのだからである。
その主役がそれとどんな「かかわり」があるか?
今から考えてみて、
次巻の正解が出るまで、
この一大歴史クイズを楽しんでいただきたい。
※出典:加治木義博
「WAJIN・KKロングセラーズ:224~226頁」
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