2015年9月9日水曜日

和人が造った三角縁神獣鏡(5)


 ≪和人が造った三角縁神獣鏡(5) ≫

 その移動コースこそ「五彩圏」

 これで謎の三角縁神獣鏡の祖形の産地はわかった。

 それはいま日本で

 「三角縁神獣鏡」と定義しているものが、

 平均20センチもあるのにくらべると、

 みなひと回り小さいし、

 その大きさに相応して、

 画面も簡単になっている。

 しかしその目的である、

 周縁部がやはり鉄囲山(てついせん)である

 という表現になっていることは、

 その断面が「山を象つた」

 立派な三角形であることですぐわかり、

 三角縁神獣鏡と同じ思想、

 同じ用途、同じ構造、同系の使用者たちを

 もっていたことがわかる。

 それは「サイズ」とか「画像」の違い程度の少差を別にして、

 大きく生物学の分類法を応用して分類すれば、

  それは

 「神獣鏡綱(こう)」の

  「神獣鏡目(もく)」の

   「三角縁神獣鏡科(か)」の
 
    「三角縁神獣鏡属(ぞく)」の

     「小三角縁神獣鏡」という「種(しゅ)」になる。

  今の考古学は、

 こうした生物学の分類法にくらべて、

 分類法が非常に遅れている。

 そのためその親戚関係を見失ってしまって、

 謎が解けない原因になっているのである。

 これではせっかく三角縁神獣鏡の祖形を見つけても

 「これは違う」でお終いである。

 この祖形の問題で最も重要なことは、

 その祖形の一つ、

 私(加治木義博)のもつ鉄製方位鏡が、

 鹿児島県に移動して方位鏡として活躍したあと、

 現代まで伝世されてきたことだ。

 それは鉄鏡だったために埋葬すれば

 錆びて消滅することを知っていたためか。

 あるいは、

 だからこそ保存して後世に伝えるために、

 わざと鉄製にしたのか。

 それとも銅の得られなかった

 無銅器地帯の鹿児島では

 鉄以外に造る材料がなかったのか。

 あるいは台湾で

 すでに鉄製の小三角縁神獣鏡が造られていたのか。

 この答えは私たちの言語復原史学会員らの、

 ゆっくり時間をかけた今後の調査結果を待つほかない。

 しかしこの鉄の小三角縁神獣方位鏡のその移動こそ、

 五彩圏の記念すべき最初の移動そのものだった。

 そしてそれは、

 あの『ヒミコ』でお話しした

 「ソナカ」と「ヒメコソ」との移動と

 ぴったり同じになる。

 三角縁神獣鏡の祖形として、

 この鏡が造られた時期は、

 ヒメコソが台湾に

 最初の太陽感精神話を残した時期と一致し、

 それが南九州へ移動したあと、

 ヒミコ女王として君臨した時期とも一致する。

 彼女は鏡を愛した。

 それは彼女が鏡を知っていたからであり、

 その用途にも精通していた。

 それが「日の神」の祭主であり、

 天照大神の資格でもあった。

 だからこそ、

 よりよく輝く中国製の銅の鏡を欲しがったとしたら、

 この鉄の鏡こそ、

 台湾で造られた最も初期のものということになる。

 それは明らかに方位鏡として造られた

 希有(けう)のものである。

 ヒミコの鏡に最も近い多くの条件を満たした

 鏡がここに現実に実在するのである。

  ※出典:加治木義博
          「WAJIN・KKロングセラーズ:222~223頁」

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