2015年9月8日火曜日

和人が造った三角縁神獣鏡(4)


 ≪和人が造った三角縁神獣鏡(4)≫

 「三角縁神獣鏡の原産地は台湾だった」

 ところが思いがけない運命が待っていた。

 親友・陳(ちん)朝和氏の紹介で

 台湾政府の招請を受けて初めて台湾を訪れた際に、

 台北の故宮博物院で、

 蒋介石政権大移動のとき大陸から運んできた

 古鏡の大コレクションを見せてもらったが、

 その中に全く三角縁神獣鏡がないことをお話しすると、

 孔子直系の子孫である孔博物院長が

 「それは多分、ここの土着の人の鏡ではないですか」といって、

 やはり台北にある国立博物館の館長に

 電話をかけて紹介していただいた。

 同行の学者たちと車で館長を訪ねると

 「ここにもないが、

  もっている者の心当たりがあるので案内させましょう」

 といって、

 車で郊外にある豪邸に連れていってもらった。

 そこはある大骨董商の自宅だったが、

 社長自身が帰宅して待っていてくれた。

 そして

 「電話をもらったので多分これではないかと

  思って出しておきました」といって

 応接室に並べて見せてくれた。

 三角縁神獣鏡は二面しかなかったが、

 驚いたことに、

 私(加治木義博)の家に伝わった例の鉄製方位鏡と、

 まったく同じ図柄、

 ほとんど同じ大きさの青銅製神獣鏡が一面、

 その中にあり、

 別の図柄の同じ系統の鏡も五面あったのだ。

 もちろん私たちは、

 その出所をたずねたが、

 社長は

 「これは骨董品として台湾で貫い集めたもので、

  学問的なものではありませんから、

  どういう経歴のものかはわかりません」というだけだった。

 それでも私は大喜びで、それを全部買って帰った。

 政府の仕事で高雄市長と市長に

 政府がつけている監督官の秘書長に会い、

 いろいろ幅広い相談を受けて仕事をすませたあと、

 帰国前にもう一度、

 孔院長にお礼をいいに故宮博物院を訪れたとき、

 若い学芸員が

 「あの鏡は南のほうに多いように思います。

  しかし出土品ではなくて、宗教用に伝世したもののようです」

 と教えてくれた。

 それが、きっかけで始めた20回を超える台湾調査で、

 台湾全土に

 この型式の「神獣鏡」が大量に「保存」されていて、

 今なお宗教用具として使用されている事実を、

 至るところで目撃してきた。

 もちろん手に入るかぎりのものを入手して研究を続けている。

 宗教目的に使われる際は、

 その鏡の種類には関心がないから、

 どんな型式でも、どんな時代のものでも、

 要するに青銅製の古鏡でさえあればいいのだが、

 その中に大量に

 三角縁のある「神獣鏡」が混じっていたのである。

 この「台湾に大量にある」という事実の新しい情報は、

 つぎのような前もって得られている知識に固く結びついて、

 私たちの結論をますます強く補強する。

  ① 私たちはすでに、詳細に、

    そこが3000年以前からカリエン人=和人たちの国であって、

    古琉球国の一部であり、

  ② その後ソナカ仏教宣布団の重要拠点となり、

    ギリシヤ系インド人の子孫である

    アミ族の人々やその系列に入る部族の人々が

    今も住んでいること。

  ③ そこがのちに朝鮮半島から北

    のシベリアにまで発展した和人たちの重要拠点であったこと。

  ④ その事実は「五彩圏」の残した地名によって

    完全に証明されること、などを知っているし、

  ⑤ またその「神獣鏡」の図柄が

    「神と獣」を表現したシンドゥ教=徐福ら「方士」の

    宗教のものであること。

  ⑥ その「神獣鏡」は「方士」の専門とする

    「方位」を測定する器具であること。

  ⑦ 鏡は同時に光(ひかり)通信用の器具を兼ねていること。

  ⑧ その光通信技術はインドの砂漠地帯で

    発達したものであること……。

    など、数えあげればきりがないほどの知識に結びつく。

 そして当時は五胡十六国時代であり、
 
 倭人らの親族であった胡人が中国本土を分割占領していたのに、

 その中国からこの鏡が出土しないという、

 普通では考えられないような、

 もう一つの絶対条件を考えなければならない。

 するとこの二つの絶対条件の歯車が噛みあって、

 ただ一つしかない答えが出る。

 それはこの

 「三角縁神獣鏡の原産地は、すでに見たように、
  
  条件の悪い日本でも中国でもないとすれば、

  3~4世紀当時、

  どこよりも条件に恵まれていた台湾以外にはない」

 という答えである。

 そして考えてみれば、それはなんの不思議もないことだったのだ。

 それは3000年を超える昔に、

 進歩した青銅器をもたらして、 

 金属産業を初めて中国の殷人に教えたのも、

 その後、金属貨幣とその製法を教えたのも、

 すべてこの和人たちで、

 彼らは長く栄えた貝貨幣産業が倒産したあとは、

 金属貨幣や鏡、武器などの青銅器を造って

 供給していたのだから、

 三角縁神獣鏡が造れない理由は、

 最初からなかったのである。

 そして台湾には豊富な金属資源があったし、

 また隣接する中国の呉(ゴ)や閩(ビン)には

 鉄器時代に入って不用になった

 時代遅れの青銅武器スクラップが大量にあった。

 それを輸入するのも、

 船なら日本列島へ運ぶのとは比較にならないほど近くて、 

 簡単で安全だったのである。

 もちろん気温の高い台湾のほうが蜜蜂の蜜蝋(みつろう)の生産も多い。

 その他の原材料も豊富にある。そうしたことのすべてが、

 当時の西方文明の一大全身基地だった

 台湾=タイナロンで三角縁神獣鏡の祖形が生まれた

 理由だったのである。

  ※出典:加治木義博「WAJIN・KKロングセラーズ:218~221頁」

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