2015年9月5日土曜日

和人が造った三角縁神獣鏡(2)


 ≪和人が造った三角縁神獣鏡(2) ≫
 
 こうしてこれまでは、

 「邪馬台国・大和説」あるいは「畿内説」の

 最大の証拠群だと錯覚されていた

 「三角縁神獣鏡」についてほんの少し考えただけで、

 その「大和説・畿内説」を完全に葬りさってしまった。

 そればかりか、240年にヒミコが

 「大和や畿内」にいたという幻想の霧を」 

 完全に吹き払ってしまった。

 だが本当の「三角縁神獣鏡の原産地」は

 まだ見つかってはいない。

 この間題に決着をつけるために、

 どうしてもそれを発見して確定する必要がある。

 それには「国産説」の核心である問題点、

 本来の疑問である三角縁神獣銃の産地はどこか?

 という問題について検討してみよう。

 鏡に限らず、どんな金属製品でも、

 突然ふいに生まれることはない。

 必ずそれにはルーツがある。

 たとえば大発明家がいて未知の製品を造りだしたとしても、

 よく考えてみれば、

 その金属原料は彼の新発明ではなく、

 古代から少しずつ発達してきた技術が掘りだし、

 溶かし、合金にして、改良してきたものである。

 発明家はその「素材の新用途」を考案しただけなのだ。

 だから「鏡」というような、

 当時のハイテク製品は、素材でも、加工技術でも、

 用途までも先行技術がなければ生まれてはこない。

 「国産説」はこの点があいまいである。

 ルーツは単に「中国だ」ではすまない。

 それが「どういう経路で国産になったか」が問題なのだ。

 三角縁神獣鏡は日本でしか見つからないが、

 日本で「突然発生したものではない」。

 「出土する古墳の近くで生産された」などというのも幼稚なら、

 「大量に出る古墳の主が方々(ほうぼう)へ配った」

 と思いこむのもおかしい。

 それはセールスマンが売り歩けば、

 金のある者はたくさん買い、

 ないものは少し買うというだけのことでしかない。

 別に属国だとか主従関係など考える必要はない。

 そんなセールスマンが日本にいたかと疑う方は、

 『ジンム』をお読みいただきたい。

 和人が宝貝を遠い古代「殷帝国」の都まで輸出し、

 その中国の銅剣や鏡などが日本列島の各地から、

 大量に見つかっている。

 それは全部、

 古代のセールスマンの活躍による国際的な経済活動が、

 予想以上に盛んだった証拠なのである。

 出土地と生産地はなんの関係もない。

 買手さえいれば、どこまででも運ぶことができる。

 これにくらべると「国産」の問題は、

 青銅鏡の生産技術の難しさから考えて、

 たとえ日本で需要があっても、 

 技術者さえ連れてくればすぐ生産できるというものではない。

 原材料と製作器具と工場がいる。

 鏡の直接原料は銅だが、

 それはどこにでもあるものではない。

 銅山を見っけたとしても、

 それを青銅にするには大変な知識と手間がいる。

 そのほかにも間接に必要な原材料や資材は、

 錫(スズ)、蜜蝋(みつろう)、

 上質粘土(ねんど)、きれいで豊かな水、

 上質の木炭、作業場を建てる建築資材、それに輸送器具類だ。

 これも古代には、

 どこででも簡単に手に入るという容易な品物ではなかった。

 古い銅製品のスクラップを使うにしても、

 溶かせばいいというものではない。

 青銅を溶かせば錫の分量が変わってしまって

 ポロポロの泥状になり、滑かな金属にはならない。

 しかも溶かすにはうまく焼いた硬い上質の木炭がいる。

 ちょっと考えただけでも鋳造りはナマ易(やさ)しい仕事ではない。

 品物の生産には、

 目に見えない無数の条件が満たされる必要がある。

 だから現代でも世界中どこの国でも工業地帯は限定されている。

 日本でも銅器の80パーセントが富山県高岡産だ。

  ※出典:加治木義博
     「WAJIN・KKロングセラーズ:211~213頁」

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