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常陸・日立(稲敷)
常陸・日立(稲敷)
≪常陸・日立(稲敷)≫
魏代の中国人は高度に科学的な方位知識をもっていた。
その知識はすでに紀元前12世紀を超える殷代に、
殷の首都(今の河南省安陽県・殷墟)と、
日本の茨城県稲敷郡とを結ぶ直線を、
正確に測量していた事実が
完全に立証されている程のものなのである。
なぜそれがわかるかといえば、
この2点は正確に北緯36度線上に並んでいて、
その距離が2200kmきっかりある。
だから稲敷は殷墟の真東にある。
太陽の昇る所ともいうことになるが、
そこは「ヒタチの国」と呼ばれた。
なぜか常陸という字が当てられているが、
県内に日立市があるから、
やはり
「日立ち=日が出発するところ」というのが語源だ。
それはいうまでもなく殷の王室からみて
太陽が昇る東極という意味で、
稲敷が聖地だったのであり、
稲敷という地名は、
「殷(イナ)の儀式(シキ)場」を意味している。
しかも稲敷の福田貝塚から出土した
縄文土器の人面注口器と、
殷墟から出土した青銅製の人面注口器
(米国ワシントンのフリア美術館所蔵品)とは、
全く同じ信仰対象としての共通点を25以上も持つ。
測量だけに絞ってみても、
当時の人々が、海を超えて遥か彼方にある地点を
2200kmきっかりに測量して
首都と聖地を置くことができたのだ。
だから千数百年後の魏人なら当然、
より一層高度な方位知識を持っていたのである。
(詳細は加治木義博者『日本人のルーツ』参照)
※出典:加治木義博
「言語復原史学会・大学講義録10:16頁」
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