2015年8月22日土曜日

シバの大神と諏訪の大神(諏訪大社)


 ≪シバの大神と諏訪の大神(諏訪大社)≫

 平安時代~江戸時代を通じて上社では諏訪氏が、

 下社では金刺氏が大祝を務めた。

 末社は2万5000社に及び神社本庁別表神社として

 宗教法人諏訪神社によって運営されている。

 通称、「諏訪さま」、「諏訪大明神」等とも呼ばれる。
 
 延喜式において古代においては

 神社の中の最高位である名神大社とされていた。

 1871年(明治4年)に国幣中社、

 1896年(明治29年)に官幣中社となり、

 1916年(大正5年)に官幣大社となって、

 1948年(昭和23年)に諏訪大社の号が用いられるようになった。

 現在、氏子・崇敬者の総人口は日本国内に10万人~50万人、

 国外に数百人いるといわれている。

 「諏訪湖の南側に上社(かみしゃ)本宮・前宮の2宮、

  北側に下社(しもしゃ)春宮・秋宮の2宮があり、

  計4つの宮から成る。

  社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木の柱が

  立っているほか社殿の配置にも独特の形を備えている。」

 と書かれている。

 出典:諏訪大社
     
 ジワ教というのは紀元前7世紀頃のものとされる

 ベ-ダを聖典として、

 シバ神を崇拝する宗教で、バラモン(ヒンドウ)教の一派である。

 土地によってシバ、シワ、ジワといった方言化がある。

 その実体は印度の各地にあるこの派の寺院を訪ねると

 一目瞭然である。

 神を祭るのであるから寺院というのは誤まりで、

 慣習上そう書いたのだが、

 実はこの神には本来寺院も神殿もなく、

 巨岩をくりぬいた洞窟に祭られている。

 その大本山ともいうべきハーティヒー島(象島)は

 ボンベイ(現)ムンバイの近くにあり、

 いわゆる象頭山の上に岩窟があって、

 讃岐の琴比羅宮と同じように長い階段を昇らねばならない。

 ここで印象的なのは、その<供物>である。

 仏教とは正反対に、血のしたたる獣類(いまでは山羊)の頭を

 供えるのである。

 肉を供えるのではなく、

 神の前で次々に切った生首だけを供えるのである。

 この祭祀型式とそっくりの神事が日本にもある。

 それは長野県の諏訪大社の祭りに見られる。
  
 藤森栄一氏によればこの「御頭祭」は、

 まず元旦の御占神事によって決った

 御頭郷の奉仕で行なわれ、

 三日月最初の酉の日の御立座神事というものに結集して行く。

 この日、馬に乗った神使が氏子の村々を

 鉄鐸のついた棒をシヤンシヤンと鳴らしながら、

 各村のミシャグチ神を神おろしして前宮に帰ると、

 大祝(おおはふり)が内御玉殿から出て

 高御座につき、八十五頭(かしら)の鹿の頭を正位に

 また様々の生産品などを副位に供えるのである。

 この諏訪大社の本殿は実は建物はなく岩窟であって、

 私たちが神殿と考えるものは拝殿である。

 また祭神は建御名方命とその妃、八坂刀売命であるが、

 この大社では夫妻を別々に祭ってある。

 これもまたシバ神とその妃の祭り方と全く同じなのである。

 こうして類似点を探して行くと、

 シバ神の妃カリー神にまつわる伝説までもが、

 八坂刀売命のものと一致点をもっている。

 カルカッタ(現)コルカタのそれは、

 カリー神の足の指を死体から切りとった際、

 血のしたたった所に町が生れ、指が落ちた所に寺院ができた。

 というのであるが、諏訪のそれは八坂刀売命が化粧に使う湯を、

  綿の玉にしみこませて持ち歩いた際、

 その湯のしたたった所に沸き出たのが、

 今の諏訪湖畔の各温泉だ、というのである。

 後者は血なまぐささが消えて日本式に優美に見えるが、

 そのモチーフは全く同じである。

 一方主神の御頭祭の方は、男神のせいでもあろうか、

 かっては鹿だけでなく猪の首も生血のしたたるものを献げたが、

 大正末期頃から余りにも惨酪だという声が出て、

 神前での首切は廃止されたという。

 もうお気づきだと思うが、
 
 この類似は単に神事や伝説その他だけではない。

 最も重要なものはその神名の一致である。

 シワとスワは僅かな方言差にすぎない。

 シバ神の像はヒンヅー教の各派によって解釈が異なり、

 また仏教にも大自在天としてとり入れられており、

 その像も多くの種類がある。

 しかしそのいずれもが頭骸骨を連ねた

 ネックレスをかけていることが共通している。

 これは<御頭祭>が示すものと同一の考えに基くもので、

 その威力を象致しているのである。

 像はその妻<カリー>を伴ったもので

 北インド神像の形式を備えている。

 シバの表記は

  サンスクリットとインドシナではSiva。

  ジャワではCiwa。

  マレー語圏ではJivaまたはJiwa。

  ボルネオではNiuwaと変わる。
  
 このニワはこをミと発音する沖縄へ入るとミワと発音される。

 三輪の大神はシバ神を意味する。

 またインドではシバはジャッカルをも意味する。

 これは日本では<狼>にあてられたことが、

 オオカミという和名で証明されるのである。

 また中国地方にあるイザナミ伝説地がヒバ山呼ばれ、

 また志波彦神社(宮城県の元国幣中社)

 そのほかシバ神を祭るものはかなりの数にのぼる。

 沖縄では

  庭(ニワ)を(ミヤ)。

  新(ニイ)を(ミイ)

  新婿(ニイムコ)→ミイムークなど。

  睨みくらべをミイクウミーなどと、

  ニをミと発音する。

 またこれまで語意も語源も不明とされてきた

 「ミシャグチ神」とは何か。

 これもパーリ語で読んでみると一遍に謎はとける。

 シバ神の故郷インドには今は死語になった

 パーリ語という言語があった。

 それによるとシバとは幸福、吉祥を意味する。

 これにはまた平安、安泰の意味も含まれている。

 シアワセという日本語と、

 この<シワ>も似ているが、次のように熟語になる。

 「シバ・ガミ・マッガ」。

 これを直訳すると安全の法、平安への道ということになる。

 これに対して「安全を護る」「守護する」はパーリ語で<グッチ>。

 供、従者はミッサという。

 「ミッサグッチ」とは守護する供人ということであり、

 ミシャグチ神とは本来シバ神を守護する

 供神のことだったのである。

 とすると、

 諏訪の神使が各村にいるミシャグチ神を召集して

 神事を始める理由も

 初めて理解できるのである。

  ※出典:加治木義博
     「言語復原史学会・邪馬臺国の言葉:133・134頁」


  
  

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