2015年8月29日土曜日

鵜戸神宮


 ≪鵜戸神宮≫

 「我が国に現存するエリヅ、エレチ、エンキ」

 バビロニヤの都市国家の名と神名とに戻ろう。

 エリヅの主神は水の神・エンキだった。

 乾燥に悩む環境から

 水に深い関心のある国だったことは間違いない。

 それも灌漑用水なら、

 大河沿いの土地はどこも同じだから国名にすることはない。

 これは飲料水としての水質が良いことの、

 神への感謝と宣伝のための国名で、

 屋久という名と、全く同じ発想なのだ。

 それを我が国なら何と表現するだろう?。

 清水や吉水は各地にある。

 エリヅに合う当て字を考えると「選(え)り水(ず)」がある。

 選(え)り津(ず)にすると良港にもなる。

 どちらにしても水の神の担当である。

 ではそんな名の土地が我が国にあるか?。

 津は沖縄語ではチと発音する。

 次の国のErech エレチは、エリヅから分かれた国だと解る。

 エレチは沖縄ではイリチと発音する。

 それは鹿児島ではイリキになる。

 入来という地名と姓は

 エレチ人が鹿児島へ来たことを伝え続けているのである。

 その氏神は天の神「アヌ」。

 沖縄でNがMになるとアム。

 それが鹿児島へ行くとアマ、

 天の神は天津神で意味も発音も

 スメルと我が国は完全に同じだ。

 エリヅの神はエンキである。

 これは標準化されて

 「榎木(エノキ)」という姓になっている。

 その有名人には

 鹿児島出身の映画スター・榎孝明君がいる。

 彼は姓だけでなく、その体格容貌で、

 私(加治木義博)の説が正しいことを、

 実に明確に証明してくれているのである。 
  
 さらに付け加えると

 榎という木は川や池などの水辺を好む。

 環境が良ければ大樹になって葉を垂れ、実をたくさんつける。

 古代人はそれを水の神・エンキの化身として祈ったのだ。

 ラルサの神はウツで太陽神である。

 宇都の宮はまさにウツの宮である。

 その祖先もやはり古代日向の東端の、

 昇る太陽の光をさえぎるもののない太平洋岸に、

 古風きわまる洞窟神社として現存している。

 鵜戸神宮である。

 何時からか「ウド」神宮と訛ってしまっているが、

 その地理条件は、

 間違いなくウツの宮だったことを証言して余りがある。

 しかし、「ラルサ」という国名はどこにもありそうにない。

 一体、どうなっているのだろう。

 ご存知の通り、南九州語はラ行音はダ行音に変わる。

 ラルはダヅになる。

 またサはセになるから、ダヅセ。

 これは耳で聴くと「ダッセ」になる。

 鹿児島には田布施という地名と姓がある。

 これはいまではタッセと呼ばれるが、

 田はダとも読むから、

 本来はダッセへの当で字で、それも布施という用字で、

 仏教の影響が大きくなってからの当て字だと解る。

 ウルは沖縄の古名で、今もウル国(マ)という。

 漆間と当て字した姓もある。

 その神は新月の神で「ナンナル」である。

 新月は、月とは名ばかりで、無くなってしまう。

 「無くなる」を古代は「無(ナ)ンナル」と言った。

 「無(むん)になる」は、無を漢音に変えただげである。

 従来中国の文化だとされてきた四神の「玄武」は、

 私たちには黒と高(たけ)を意味し、

 高句麗(タカクロ)という国名と全く同じだとわかっている。

 そのトーテムは亀と蛇。

 その亀がなぜ象徴だったかもよくわかったが、

 ここまでくると不明だった蛇も何だったか、

 ご理解戴けたと思う。

 京都の祇園(ぎおん)、

 飛騨(ひだ)の高山などの曳(ひ)き山(やま)祭(まつ)り、

 山車(ダシ)・壇尻(ダンジリ)を使う全国的な

 「ヤマ祭礼」は

 すべて、

 現在もインドや東南アジアなどで見る

 シンドゥ祭礼と全く同じで、

 大隅の「大人弥五郎どん祭り」を最古に

 全国に広まったものだが、

 大隅町の囃子言葉は「ダンジイ討った」で、

 ダンジイは大人の訛りだとわかる。

 南九州語は大人をウドと発音するからすぐ近くの

 宮崎県日南市の旧官幣大社鵜戸(うど)神宮と同音だ。

 大人はダイジンとも読むので大神でもある。

 この神宮は海岸にあって本当の神殿は岩窟である。

 デルプォイ神殿もまた岩窟で有名な遺跡を残しているから、

 鵜戸神宮は元は大神宮だったものが、

 大神→大人→鵜戸と当て字が変わったとみると、

 大神宮=ウジンミヤ=オリンピヤだ。

 壇尻(ダンジリ)や山車を使っているから

 シンドゥだと単純にはいえない。

 言語復元によらない原始的な比較文化は、

 学術の中には入らないのだ。

 ※出典:加治木義博
     「言語復原史学会・大学院講義録37:23・24頁」
     「言語復原史学会・大学講義録25:34頁」

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