2015年8月22日土曜日

夏王朝はカルデア人王朝


 ≪夏王朝はカルデア人王朝 ≫
 
 倭人の中核をカリエン人が占めていた事実は、

 こうして疑う余地がないが、

 実は倭人章は、

 さらにそれ以上に凄い史実を、

 エピソードめいた形でさらりと語っている。

 それはこれまで陳寿の想像説と誤解されていたから、

 大した話題にもならなかったが、

 当時の中国人の知識の凄さを知ってから見直すと、

 この一節は中国建国当時の人類学上の疑問を

 一掃する巨大な指摘だったのである。

 そしてその真相は我々より、

 むしろ中国人にとって、激しいショックを与えるものになる。

 原文は次の通り。

  「夏后少康之子 封 於 会稽 断髪 文身 以 避 

   蛟龍之害 今 倭水人 好

   沈没 捕 魚蛤  文身 亦以 厭 大魚 水禽」

 夏王朝は戦後に遺跡が次々に見つかるまでは、

 伝説上の王朝だとされてきたが、

 『史記』その他には、かなり詳しくその歴史が記録されている。

 それによると、

 その国は「夏后」という国名で、

 第3代王の太康のとき東夷に攻められて敗れ、

 少康の父・相は同族の間を次々逃げ回ったが遂に殺された。

 その妻は逃げて生家に帰ったあと出産して少康を生む。

 少康は40年後に夏を再興して第6代の王になり、

 王子を夏后国の建国者である

 初代・禹(う)王の墓のある会稽の王に封じたところ、

 新王は頭髪を短く刈り、入れ墨をした。

 それは潜水して漁をするとき、

 海の怪物から身を守るという習俗だが、

 倭人も同じ考えと習俗をもっている。

 カリエン人がバビロンの崩壊で東方大移動をした

 旧カルデア人だったことを、

 タイに非難移住していた

 ミャンマー国籍のカリエン人の指導者から直接聞き、

 また13次にわたる現地調査で、

 彼等の全てを確かめたことを、

 著書などでお話ししてきたが、

 私たちの本領である言語復原史学なら、

 それが真実であることと、

 カリエン人と夏人と倭人との血縁の強さ深さなどを、

 さらに協力に印象的に立証することができる。

 今の北京(ペキン)語は旧満州=中国東北部にいた金人が、

 明朝を滅ぼして清帝国を樹立したために

 現在も中国の標準語になっているが、

 金人はもともと奄美・沖縄の南島人の子孫で、

 ペキン語の発音にも南島発音が多くの影響を与えているし、

 清の皇帝がもつ愛親(アイチン)という姓が、

 南九州方言で「愛知の」を意味することなども、

 重ねて立証している。

 清(シン)も金も沖縄発音で「チン」、

 ウチナー(沖縄)も

 「大チン国=大天国=天竺」で、

 みな同じ国名である。

 そのペキン語では「人」を「リェン」と発音するから、

 夏人もカリェンである。

 南九州方言ではラ行音はザ行音になり、

 拗音は消えるから、カリェンはカジエンになり、

 沖縄ではカージエンになるから、

 その原音はカルヂアンだったことが突き止められた。

 中国初代王朝はカルデア人から始まり、

 私たちとも近緑の血を分けた兄弟だったのである。

  ※出典:加治木義博
     「言語復原史学会・大学講義録10:13・14頁」

 

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