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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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≪夏王朝はカルデア人王朝 ≫
倭人の中核をカリエン人が占めていた事実は、
倭人の中核をカリエン人が占めていた事実は、
こうして疑う余地がないが、
実は倭人章は、
さらにそれ以上に凄い史実を、
エピソードめいた形でさらりと語っている。
それはこれまで陳寿の想像説と誤解されていたから、
大した話題にもならなかったが、
当時の中国人の知識の凄さを知ってから見直すと、
当時の中国人の知識の凄さを知ってから見直すと、
この一節は中国建国当時の人類学上の疑問を
一掃する巨大な指摘だったのである。
そしてその真相は我々より、
むしろ中国人にとって、激しいショックを与えるものになる。
原文は次の通り。
「夏后少康之子 封 於 会稽 断髪 文身 以 避
蛟龍之害 今 倭水人 好
沈没 捕 魚蛤 文身 亦以 厭 大魚 水禽」
夏王朝は戦後に遺跡が次々に見つかるまでは、
伝説上の王朝だとされてきたが、
『史記』その他には、かなり詳しくその歴史が記録されている。
それによると、
その国は「夏后」という国名で、
第3代王の太康のとき東夷に攻められて敗れ、
少康の父・相は同族の間を次々逃げ回ったが遂に殺された。
その妻は逃げて生家に帰ったあと出産して少康を生む。
少康は40年後に夏を再興して第6代の王になり、
王子を夏后国の建国者である
初代・禹(う)王の墓のある会稽の王に封じたところ、
新王は頭髪を短く刈り、入れ墨をした。
それは潜水して漁をするとき、
海の怪物から身を守るという習俗だが、
倭人も同じ考えと習俗をもっている。
カリエン人がバビロンの崩壊で東方大移動をした
旧カルデア人だったことを、
タイに非難移住していた
ミャンマー国籍のカリエン人の指導者から直接聞き、
また13次にわたる現地調査で、
彼等の全てを確かめたことを、
著書などでお話ししてきたが、
私たちの本領である言語復原史学なら、
それが真実であることと、
カリエン人と夏人と倭人との血縁の強さ深さなどを、
さらに協力に印象的に立証することができる。
今の北京(ペキン)語は旧満州=中国東北部にいた金人が、
明朝を滅ぼして清帝国を樹立したために
現在も中国の標準語になっているが、
金人はもともと奄美・沖縄の南島人の子孫で、
ペキン語の発音にも南島発音が多くの影響を与えているし、
清の皇帝がもつ愛親(アイチン)という姓が、
南九州方言で「愛知の」を意味することなども、
重ねて立証している。
清(シン)も金も沖縄発音で「チン」、
ウチナー(沖縄)も
「大チン国=大天国=天竺」で、
みな同じ国名である。
そのペキン語では「人」を「リェン」と発音するから、
夏人もカリェンである。
南九州方言ではラ行音はザ行音になり、
拗音は消えるから、カリェンはカジエンになり、
沖縄ではカージエンになるから、
その原音はカルヂアンだったことが突き止められた。
中国初代王朝はカルデア人から始まり、
私たちとも近緑の血を分けた兄弟だったのである。
※出典:加治木義博
「言語復原史学会・大学講義録10:13・14頁」
「言語復原史学会・大学講義録10:13・14頁」
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