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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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≪人類が生存できる限界の激しい気象環境も宗教の内容を左右する。≫
同じ仏教でもラマ教の悪魔や怪物の仮面舞踏は、
そうした環境が悪魔や悪神の暴力によるもので、
そうした環境が悪魔や悪神の暴力によるもので、
それらから身を守り子孫を繁栄させるには、
仏の教えに従って身を慎み善を行って、
善神が悪神を退治る戦いに参加し助力せよと教える。
また農業が成立しない環境では、
畜産によって乳を飲み、
殺して肉を食べ、
皮を着る以外に生存の道がない。
争わず殺さずという釋迦の教えは、
とうていそのままでは守れない。
殺生が容認される幅が、
私たちからみれば遥かに拡大される必要があったのである。
北方へ進んだ布教団の教義は、
卑弥呼の名の実意「慈悲や愛」といった
甘っちょろい観念論ではありえない。
中国に西域から入った仏教は、
生首を提げた女性像が
訶梨帝(カリティ)菩薩として壁画に描かれるような、
卑弥呼仏教とは正反対のものだったのである。
この鬼菩薩を鬼子母神(きしもじん)と訳して
日本に紹介したのは日蓮で13世紀末である。
日本で過去に信じられて来た6世紀の仏教伝来は、
この北方仏教(北伝仏教)であって、
東南アジア経由の南方仏教(南伝仏教)だった
ソナカ=卑弥呼の仏教とは別物である。
日本語の[クロ]も正確にはインド語の一つだし、
韓という当て字の当時の発音[カラ]も、
シンドゥの女神で
日本で鬼子母神と呼ぶ[カーリー]も、
みな[黒]のインド語の方言なのである。
「カリー女神像」は北インドのものである。
シバ大神の妻であったカリーは、
仏教にとりいれられて訶梨帝菩薩と変化し
新らしい縁起を与えられた。
日蓮はこれを鬼子母神と訳したが、
一方ではインド亜大陸の南海地方で
慈母聖母としての愛の女神「カシー」となり、
観世音の文字があてられた。
奈良朝の厚い崇敬にもかかわらず
香椎廟が当時の重要な祭政施行令であった
延喜式の神名から除外されているのは、
神功皇后を観世音すなわち仏と見ていたことの一証である。
※出典:加治木義博「言語復原史学会・大学講義録20:21頁」
「JINMU・KKロングセラーズ:161頁」
「言語復原史学会・邪馬臺国の言葉:193頁」
「JINMU・KKロングセラーズ:161頁」
「言語復原史学会・邪馬臺国の言葉:193頁」
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