2015年8月30日日曜日

貨幣の発祥


 ≪ 貨幣の発祥 ≫

 ペルシャ語の母音はpa、saと「a(ァ)」だが、

 ギリシャ語はpe、seと「e(ェ)]だ。

 これは沖縄語の「a」が鹿児島語で「e」になる関係と同じである。

 私たちは既に、

 ペルシャ湾岸のカルデア人が移住してきて、

 カリエンとよばれ、

 沖縄を中心に養殖、加工して、

 それを貨幣として中国その他と交易。

 高句麗や蒙古などを建設し、殷帝国を興して、

 東亜の経済を支配していた史実を、

 充分な証拠群によって、よく知っているから、

 古代湾岸語が沖縄語の基礎にあることも

 私達の常識の範囲内にあった。

 またギリシャ人が東亜に移民して

 私たちの祖先に加わった事実も、

 あらゆる角度から見た証拠群の多さで、

 疑う余地のない史実であると知っている。

 鹿児島語の祖語がギリシャ語である可能性も、

 すでに3000語以上の共通語が

 存在する事実を発見しているから、

 それをさらに高めただけに過ぎない。

 沖縄にもイオニアを指す

 パーリ語の名「与那国」があり、

 他にも与那のつく地名が分布しているから、

 各語の影響が単純ではないことは

 申し上げるまでもない。

 「殷」と言えば、

 私(加治木義博)は昭和の初めに

 古墳などの霊域ラインを発見してから、 

 それがさらに古代に

 中国の殷墟にまで伸びている史実を発見。

 殷人が商業を基盤に強大になって

 商帝国を興し夏帝国が自滅したが、

 それは貝貨幣の発明によるもので、

 その宝貝が琉球列島を生産地とするものであったことを、

 数十年間かけて広く調査して突き止めた。

 その宝貝は中国で宝貝型銅貨を生み、

 それからギリシャ・コインなどが生まれたのである。

 いま全人類を支えている貨幣経済が、
 
 沖縄から始まったことを知れば、全人類が驚く!

 この我が国の古代文明の高さを明らかにして、 

 太平洋戦争敗戦の愚と

 日本人蔑視を一掃したいと思うようになったのが

 70年の研究を支えて、

 8000年前のウバイドに導き、

 スサノオの来航や、

 日本語と西方語との

 共通点や思想・信仰の類似点の多さ、

 体格と風貌が相似する人々の多い謎を

 解くことに生涯をかけ続けてきた。
  
  ※出典:加治木義博
  「言語復原史学・大学院講義録37:8・9頁」

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