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≪ドンソン文化≫
ベトナムのドンソン発掘の銅鼓の絵が、
エジプトの葦船(あしぶね)と同じタイプであることや、
インドネシアからフィリピンまでの帆船が、
インドネシアからフィリピンまでの帆船が、
地中海スタイルの三角帆であることなど、
より古い時代からの人と文化の流れが見てとれる。
ドンソン文化の名で知られる
インド支那半島出土の銅鼓に書かれた船の絵は
その羽状の多くの表現から天空を翔ける神と
その羽状の多くの表現から天空を翔ける神と
その船を表現したものだとされているが、
紀元前1500年頃のエジプトの船と比較して戴くと、
この両者が非常によく似ていることに気づかれると思う。
またその形だけでなく
エジプトの船は本来葦船だったものからの発展で
一方の端の扇状の飾りは葦を束ねた
末端の名残りを止めたものである。
そして銅鼓の船には
明瞭に葦の束を結束した船体が描写されている。
両者ともに見張台があり帆柱がある。
方向舵も同じものだといっていい。
唯一つ異なるのは
一方は帆であるのに
一方は羽のようなものになっている点である。
しかしそれは共に風によって運ばれるものである。
天上の旅は帆よりも羽の方がより適切であるという発想は、
やはり帆を知るもののみが抱きうるアイデアである。
漕手が居ないことも注意を要する。
カレンのクサビ太鼓は昔は銅鼓が主体で、
太鼓はその予備だったという。
この銅鼓は1924年から、
フランス人パジョ氏が、
ベトナムのドンソン遺跡を発掘した際に発掘され、
古代からの青銅器として学界の注目を集めたが、
中国貴州省の苗族や雲南省の彜(い)族は
今も全く同型の銅鼓を使い続けている。
家屋文鏡とつながりのある楽器もまだ生きているのである。
[銅鐸人]の弥生人は、
紀元前のベトナム・ドンソン遺跡から
立派な銅鼓が出ているので、
そのあたりからの移住者だったことがわかっています。
中国には今も銅鼓を太鼓のように使っている
ヤオ(揺)人と呼ばれる少数住民がいますが、
日本でも銅鐸の出土する地域には
八尾、八百井、矢追、八百板などという
地名や姓が残っています。
これから考えると弥生時代の名の起こりになった
東京都の「弥生」町の名も、
古代にはヤオ人が住む「弥=ヤ・生=オ」と
呼ばれた土地だったものが、
時が経つにつれて文字のせいでヤオイと読まれ、
ヤヨイと訛ったものだとわかります。
※出典:加治木義博
「言語復原史学会・大学院講義録38:30頁」
「言語復原史学会・大学院講義録38:30頁」
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