『浦和レッズレディース』 猶本光サポーターズサイト
『ひねもす至福の時』
『誕生日の花と花ことば』
『湘南ベルマーレ』
《明星院・広島県(歴史&地名)他》
『広島・明星院』
『広島・明星院』
『madiのブログ』
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
Matのジオログ
さいたま朝日WEB
『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
セブンネット
『ひねもす至福の時』
『誕生日の花と花ことば』
『湘南ベルマーレ』
《明星院・広島県(歴史&地名)他》
『広島・明星院』
『広島・明星院』
『madiのブログ』
『My ブログ』
《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
Matのジオログ
さいたま朝日WEB
『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
セブンネット
≪「民俗学」のみたスサノオ≫
島根大学講師当時に語られた速水保孝氏の次の説は、
異なった見方を教えてくれる。
それを要約すると、次のようになる。
* 『記・紀』の基になったものは、
弥生時代の稲作人たちが持ってきた話である。
その足と手を使って造った稲田が、
脚摩・手摩・稲田媛という名詞の意味なのだ *
といった解釈で、次のような結論を引き出している。
* それが豪雨による水害で破壊されてしまう。
それを八俣大蛇の仕業だとしたものが、
スサノオ伝説なのだ。
だから出雲は特にヘビ信仰が強いのである。
それは八俣大蛇の姿をば
「眼が真っ赤。腹が血で赤く爛(ただ)れている」
と書いている。
これにもこの地域独特の、密接な理由が考えられる。
それは船通山(鳥髪山)1143mを源とする
<斐伊川>などは水の色が赤い。
それは鉄鉱石が多くて、
大量の砂鉄が川底を流れる>せいなのである。
この鉄を用いるために古来、
タタラ送風機を使って高温をつくり鉄鉱を溶解して銑鉄を
造ってきた。
その時の溶鉄の流れもまた異様に赤く輝いて、
いかにも赤く爛れた怪物の腹を思わせる。
スサノオは朝鮮半島から渡来したというから、
先進地の製鉄や治山治水技術をもっていた。
スサノオを祭るこの集団が尾鰭をつけて神話を作った。
作り話の背景には歴史がある *
この説は、
八俣大蛇の正体は、
出雲独特の鉄の赤錆が彩る荒れた川で、
それを治水技術で改修した先祖の功績を、
スサノオの大蛇退治という比喩で表現して、
神として祭ったのだという分析である。
今流に言えば
「環境行政の功績」を教える「喩え話」なんだというもので、
お伽話を鵜呑みにせず、
科学的に結論した優れた知性の産物に見える。
しかし問題がある。
それは、
では天皇家は、
スサノオの子孫だと主張しているのだから、
朝鮮半島出身の製鉄工人の子孫だということになる。
スサノオは天照大神の弟で、天=沖縄から日向出身である。
それを何故?半島出身者が祖先として祭るのか?。
次々に疑問が殖えて、
私たちが今求めている天皇家のルーツをたどる歴史とは
無縁なものになっていってしまう。
実はこの速水説は、史学ではなくて、
柳田邦男や
折口信夫(釋超空)や
松本信廣、
松村武雄、
肥後和男らの
主張した「民俗学」の見方なのである。
それはどんな風にスサノオを見ているか知っていないと、
これから先、脱線してしまうから、
要約してご覧に入れよう。
※スサは進む・荒ぶという意味、
または出雲・紀伊にある地名。
<建>も<速>も勇武の形容詞。
嵐の神だとする自然神格説と
出雲系氏族の祖神とされる人文神・英雄神とするのが
一般的だ。
この神が天に昇ると国土が揺れ動き、
泣くと山の木が括れ、海も川も干上がってしまう。
これらは巨人的な性格をあらわしいる。
天照大神に対する敵役と
出雲での英雄神・文化神ぶりは全く対照的だ。
これは別の2神が後に同一視された結果だろう。
天で農耕をさまたげ、新嘗の神聖を穢した罪で、
髪や爪を抜かれて重荷を負おわされて追放されるのは、
穢れ災厄を担わされて祓われる
「形代(かたしろ)」の人格化であり、
天の岩戸の物語りでは、
尊貴を殺して天地を暗くする邪霊の役割で、
宮廷の祭儀と神話では敵役である。
それに対し、
出雲地方や、出雲と文化的に密接な紀伊地方では、
人類に福祉を授ける恩人とされている。
また父に根の国に行けと命じられ、
高天原から根の国に追放され、
大国主が根の国を訪れると、根の国の支配者であったり、
木種を分布させ終えると熊成峯から根の国に入ってしまう。
根の国は死者の国だが、一面、ニライカナイ同様、
生命と豊穣の源泉>だとも信じられていたらしい。
『日本書紀』の一書に、
追放されると青草を束にして蓑笠にし、
宿を乞うたとあるのも。
豊を根の国からもたらす「まれびと」の姿で、
『備後風土記逸文』にある
<蘇民将来>を訪れた<武塔神>は
「わしは素戔嗚の尊だ」と名乗る。
彼が<大気津比売>や大蛇を殺し、
大小の須佐田を定めた(『出雲風土記』)というのも、
本来出雲の豊穣神が、
本来出雲の豊穣神が、
後に朝廷の祭儀で邪霊とされたもので、
号泣したのも司祭の狂踏乱舞を写したものという。*
スサノオの尊は「神話」だと言って
『神話学』で全て説明しようとし、
いや信仰だから『宗教学』だといい、
いやそれは民間の風俗習慣から生まれた伝説の一種だから、
それらを総括して研究する『民俗学』でなければ
正しく把握できないと言われてきた。
その結果でた結論が以上のようなものだったのである。
その結果、
ご民俗学ではスサノオはご先の通り民間信仰の厄払いに使う
「形代(かたしろ)」にまで墜ちてしまった。
私(加治木義博)は30年前から倭人のルーツ調査に、
台湾からミャンマーまで東南アジアの住民を訪ねてまわった。
その間に各地で我が国の形代と同じものに出会った。
それはバナナの葉や、他の広葉樹の広くて大きな葉や、
木の皮を人の形に切ったものだったりしたが、
我が国の形代は材料が紙だというだけで、
その形も目的も信仰も全く同じだった。
そればかりでなく同時に、
藁や樹枝を束ねて丸い輪にした
「茅の輪(ちのわ)」があった所も多かった。
何のことはない。
民俗学が言う日本人は、
いま東南アジアの至るところに現存しているのである。
だが、そこには1か所も、スサノオの尊は愚か、
似た伝承を思わせる神も人物も伝わってはいなかった。
「形代(かたしろ)とスサノオの尊」は
関係があるように見えたが、やはりは、
我が国だけの実在人物で、
形代信仰とは無関係だという明確な定義が確立したのである。
※出典:加治木義博
「言語復原史学会・大学院講義録30:16~19頁」
「言語復原史学会・大学院講義録30:16~19頁」
0 件のコメント:
コメントを投稿